−21グラム
2004/07/26

 姉が、先ほど逝ってしまった。
 2004年7月26日月曜日午前9時33分永眠。

 姉の呼吸は実際には同日8時54分には止まった。その後心臓だけがわずかに動いていた。気管挿管と人工呼吸器をつけて49分間心臓が動いていた。その後心停止により同時刻死亡。


 医療病棟から、同年7月13日に介護病棟へ移って、わずか2週間後の急逝となってしまいました。死因は肺炎です。数日前からコホンコホンと咳をするので、風邪を引いているのではないか言っていたのですが、それは肺炎になっていたようです。

 胃液物を誤飲しての肺炎だということです。痰などを吸い取る気管吸引では、大量の緑色をした痰のような物が吸いだされました。

 2日ほど前から肩で息をしており、とても息苦しそうでした。前日から当日にかけて、浅い2呼吸を続けてからしゃくりあげるような呼吸をしていました。

 私には、数日前から姉は助からない予感がしていました。その時に涙がぽろりぽろり出てしまいました。姉の何かを訴えるような眼が、別れを告げていたのかなと思います。


 15日夜から姉ベッドの側に泊まりこんで過ごしました。医療スタッフは姉がどうなるか分からないと言っていましたが、私には姉の命の日が消えかかっているのはなんとなく理解できていました。

 姉のベッドで泊まりこんで姉の手を握っていても、多分今日で最後だろうと思っていました。それなのにそのたった一晩、うつらうつらと眠くて仕方ないのです。手を擦りながら何度もうたた寝をしてしまいます。

 夜半から姉にはもう意識がないようでした。刺激に敏感な乳首をつねっても反応がない状態です。手にも足にも力はありません。手足はチアノーゼでまだらに赤くなっています。

 チアノーゼでまだらに赤くなった手足を懸命に擦るのですが、その手足の冷たさだけが感触としてあります。重たい冷たさです。爪の色はすべて薄茶色です。

 朝7時過ぎ頃、動く方の左半身の手足に痙攣がありました。思えばこれが姉の最後だったのかもしれません。痙攣は長く続いたような気はしましたが、時間にして2-3分だったろうと思います。

 痙攣が治まると、呼吸の様子も変わってきました。極浅い呼吸になり、思い出したように時々しゃくりあげるように息を吸い込むのです。そのしゃくりあげるように吸い込む力もとても弱いものです。心臓の力も弱くなってきたようでした。

 気がつくと朝8時54分には、姉は呼吸はもうしていません。わずかに姉の首の頚動脈がゆっくりと弱く波打ち、心臓が動いているなあだけの状態でした。

 医療スタッフにより、すぐに気管挿管が行われましたが、医師や看護婦が手間取るだけでなかなか気管挿管がスムーズに行われませんでした。介護病棟なので、手馴れてないのかなという雰囲気もありました。

 この気管挿管は身内の方が来るまで、姉の心臓を動かすためだけのものです。身内も集まり、家族に手ととられて姉はそのまま旅立っていきました。2004年9時33分です。57歳と8ヶ月。午前中、雨が降っていました。

 姉が2002年9月4日に倒れてから2年足らず。日にして691日の入院生活。その間3箇所の病院に移り、そのたびに私は毎日姉入院先に通う毎日でした。

 その間姉の資産管理と一年ほど私が行い、その後は家庭裁判所に申請をして法的な成年後見人を選任しました。成年後見人は私に万が一の事があったときに、姉が快適に余生を送れることを望んで行ったものです。

 私の父母も早くに亡くなっています。兄も急逝してまだ4年目です。私は自分がどれだけ生きられるか自身がありません。その為に姉に成年後見人をつけたのです。私は私のしてきたことに悔いはありません。

 その姉が私より先に逝ってしまいました。わずか2年足らず、姉の入院する病院へ通っただけで終わってしまいました。もっともっと姉の入院している病院へ通いたかった。

 雨が降ろうが、雪が降ろうが、風が吹こうが、姉の顔を見に行き、姉と散歩して、歌を唄ったり、お茶を飲んだりしたかった。姉のいる先へ向かう自転車でのサイクリングは楽しかったんだよ。

 21グラムという映画あります。人の魂が抜けると体重が約21グラム軽くなるのだそうです。魂の重さが21グラムが本当か嘘かというと、それはやや眉唾的なところがあるみたいです。

 姉の体重は21グラム軽くなったのだろうか。
 私の心は21グラム分よりも軽くなり、悔しく寂しくただ哀しく、そしてより心が重たくなったことだけは間違いない。

  息詰まり 暑き日の朝 迎え雨

Cools
Last Up Date 07/26/2004 14:14:56