空虚
2004/08/18

 私と3歳違いの姉が亡くなって今日で24日経った。

 どんな事があろうと、そのどんな事が当人にとってはどんなに喪失感をもたらすことであろうと、時が止まってくれることはない。時が止まっていれば、その悲しみにどっぷりと浸かって、涙で溺れ死ぬこともできるかもしれない。

 姉が入院してからの2年間、姉が少しでも、ほんのちょっとでも幸せな余生を送れるようにと、それだけを思って姉の看護とリハビリに毎日病院通いをした。その2年間が今年の春先に起こった院内での不幸な出来事により、低酸素脳梗塞を起こし半身不随と知見能力の著しい衰退により、全介護状態で寝たきりになってしまった。

 寝たきりで全介護状態となって、わずか5ヵ月後には肺炎で死亡してしまった。その死亡する二週間前に、院内の医療病棟から介護病棟への転床。思えば医療病棟からの転床は、姉の命の火が尽きようとしていることを、病院側が暗に察していて、介護系病院としては医療病棟で死んでほしくなかったのだろうか。

 その結果。医療病棟の誰も姉が亡くなったことで心を痛めることも苦しむことも少なくかそれも無くか、転床による介護病棟でも寝たきりで口も聞けず何の要求もしない人形のような姉がわずか二週間程度で亡くなっても、ごく新しい一人の入院患者が亡くなっただけで済んでしまったのだろう。

 病院がどんなに立派な医療理念を掲げていても、それを実践しないでは、患者なんて入院治療費という金を産む物でしかない。挨拶をしても書類に目を落としたまま返事をする看護婦。後ろを向いたまま首も動かさずに返事を返す看護婦。にこりともしない介助ヘルパーの多くの者たち。

 介護が必要な者は、者が物扱いされることを望んでいるんじゃない。入院していての唯一の希望はスタッフの笑顔以外に何もありゃしないんだ。介護病院なんてほとんど老人病院に近いんだ。治って元気に働いて社会生活に復帰できる人たちじゃないんだ。

 もちろん治療もリハビリも必要だ。リハビリの結果、これまでと同じ環境の自分の生活していた場に復帰できればそれに越したことはないのだ。介護を受ける状態になった本人には、失った機能とその絶望感にやっと耐えているんだ。それもなされるがままなすがままに。

 失った機能の回復や代替行動に必死にリハビリをしている。それはそんなことになった自分を受け入れられないからだ。家族がそのリハビリを手伝うのも同じ理由だ。身内の一人の失った機能に等しくわが身も傷ついているのだ。

 動かぬ腕を動く腕で幾ら動かしても、動かぬ腕の多少の筋肉の維持にはなっても、脳内で腕を動かす経路の脳内細胞が破壊されているのだ。多くの場合その腕が動くことは少ない。そのことにうすうす気づけば、本人も家族もまた落胆し悲嘆する。それでももしやと思い直し、また動かぬ腕動かし擦る。

 そんなことを繰り返しながら、心の中ではその何万倍もの葛藤を繰り返しながら、患者家族共にそれぞれ自分を責めている。そんな患者と家族にとって院内スタッフはの笑顔は希望の光だ。その希望の光の多くは、黒い光を放つ絶望の光となっている場合が多い。

 人によっては医療行為もほとんど必要なく、介護と機能回復および機能の維持のためのリハビリで入院している多くの人たちがいる。そんな人たちが何を望んでいるか。一番望んでいるのは笑顔なのである。優しい眼差しなのである。それが流れ作業の工場のような処し方。

 マクドナルドじゃないけど笑顔は無料で作れるものである。気分や感情はちょっと脇に置いて、自分の仕事は患者に安心感を与えるためのものだと気がつけば、いかに笑顔が必要か分かるだろう。笑顔は病も治すのだ。先ずは傷ついた心が癒される。心が癒されれば、多少は機能回復にも好い影響が出てくる。

 今の医療は看護婦は多くの事務仕事で忙しく、介護ヘルパーは多人数の世話で時間に追われ、仕事に余裕も生まれない。時間的な余裕が無ければ笑顔も出ないのだろうか。でもそれは違う。どんな時でも笑顔を絶やさず接している人もいる。要はそれは性質的な個人のスキルである。

 でも医療機関が、笑顔を絶やさぬ事が個人的なスキルじゃ困るんだ。笑顔が個人が持って生まれた性質か、それとも生活習慣で身についたかどうかも分からないような個人的能力に頼っていたんじゃ。普通の療養や介護にあっては、何があっても笑顔で接することこそが、もっとも求められることなんだ。職員に笑顔を作る訓練を課していないような病院はだめだ。

 その笑顔があった上で、患者本位で物事を考えてあげられるような体制。それが医療及び介護だろう。患者の痛みの万分の一でも我が痛みと思えば、患者に対しての接し方も自ずと変わろうに。自分に求められている役割を、自分の感情や思いは脇において、今患者にとって必用な役割を誠意を持って演ずればいいのだ。

 姉は3つの病院に入院してきました。どの病院もこれら患者の心ケアするような医療も、スタッフの行為もほとんどありませんでした。スタッフの方がいかに心の中で、患者に愛情をもって接していたとしても、その心を表情や行動に表さなければ、誰にもそれは見えません。見えないものは無いのと同じです。

 自分の心が自分で、どんなに美しく優しく他者に対する思いやりも一杯で素敵に思えても、ブスッとした顔つきや行動ではそれら永久に表面には見えません。人間はそれほど感性が高くありません。自分の心の中を、誰かが分かってくれるなんてとんでもない高望みです。誰かに分かるよなんて言わたとしたら、それは、とりあえずそう言っておくのがこのさい無難だろう程度の発言です。

 誰の事さえその内面の何一つ分からないのに、誰が都合よくあなたの事をわかると思うのですか。そんな内面行動を心の中で幾ら起こしても、それが結果として行動に出てこなければ、それはしつこいですが無いと同じことです。できれば医療関係と介護関係などの従事者は、一度マクドナルドや、東京ディズニーランドで接客業訓練を受けてくると良いと思います。

 笑顔なんて、現に心で泣いていても、にっこり微笑むぐらいの器量が人として欲しい。介護と医療を受ける多くの人たちは肉体的に弱者です。気も弱っています。更に何で自分がと、常にその責苦に葛藤しているのです。ぜひ、にっこりと微笑んで介護と医療に当たって欲しいと思います。

 私は自分で自分のことを良く知らなかったが、姉の介護をしてきて、自分が人の面倒を見ることを嫌いではないことに気づきました。今まで自分は独善的な行動しかしてこなかったので、私はそういった性癖の人なのだろうと思っていました。

 姉によって、私は自分の知らない面を発見することができました。介護を受ける家族の立場だけじゃなく、今度は介護をする立場から何ができるのかを日々考えています。介護の必用な人たちが入院する施設は、その人たちにとって相当な期間はそこが生活の場でもあるのです。私はその人たちの心のケアができるような事がしたいと思っています。

 と言っても、私は精神医学や心理学・哲学を学んでいないので、専門的なスタッフにはなれませんしできません。いやなれなくはないでしょう。今からでも大学でも行って学べばよいのです。しかし大学に行くほどの金銭的な余裕はありません。今は二級ヘルパーの勉強が精一杯です。

 ですが、二級ヘルパーの仕事として学んでいることに、内容的には医療・衛生・栄養学・心理面・情報の提供・介護される方への接し方など多岐な内容です。まさに目からうろこが落ちるような思いで勉強しています。しかし二級ヘルパーの仕事は、身体介助と介護者の為の買い物や食事・洗濯・掃除などといった事が中心でになり、私のしたい心のケアの仕事は入り込む余地は少ないでしょう。精一杯笑顔を作ってあげることぐらいでしょうか。

 今、二級ヘルパーの勉強をしていますが、これは姉が生存中に何かの役に立つかなと申し込んでおいたのです。二級ヘルパーの勉強が終わっても、訪問介護といった仕事に就くかどうかわかりません。でも可能であれば、訪問介護の現場に出てみたい思いは強くあります。その上で私のしたい心のケア的なことも勉強したいのです。そうは言っても経済的にもできないこともあります。

 私は2年間、姉の看護とリハビリ的なことのために病院に通っていました。姉の逝去により、その2年間に自然に出来上がっていた生活行動が途切れてしまいました。毎日の病院通いがなくなってしまったのです。仕事もほとんどしていなかったので、今もほとんど仕事はありません。まあ、それでも何とか食べていけるのは自分でも不思議なところです。

 毎日午後3時ごろになると、姉のところに行かなきゃと思って過ごしてきた日々が突然終わってしまった。姉を失った悲しみと、毎日午後3時になると、そわそわと落ち着かない気持ちが入り混じます。

 姉のリハビリから歌を唄う楽しみを覚えたので、唄の練習のため週に数回午前11時ごろになると、カラオケボックスに行ってランチを食べながらカラオケの練習をします。カラオケボックスで2時間潰します。それから少し用足しをすると、すぐに3時頃になります。すると私はいつの間にか、自転車に乗って今まで姉の病院へと行っていた方向にペダルを漕いでいます。

 姉が最後に入院していた方角には高尾山があります。姉が倒れる2002年9月4日以前は、その年の夏から高尾山での登下山をして過ごしていたのです。標高わずか600メートル足らずの山ですが、登下山には約2時間から3時間近い時間が必要です。その頃は運動不足もあって、本当にはあはあ言いながら山登りをしていました。その山登りもやっと慣れだしたときに姉が病に倒れて中断しました。

 それから二年後。私はまた高尾山に登っています。今日ですでに6回目です。高尾山に登ろうと思うまでは、運動のできるような公園でうろうろしていました。再度高尾山に登ろうと思いついて高尾山に登りだしました。

 それでも最初の二回リフトを使って山上駅まで行き、それから吊橋コースを歩いて山頂まで行き、それから稲荷山コースを下山しました。その後は稲荷山コースを上り下り、あるいは稲荷山コースからびわ滝コースなどを下山しています。

 稲荷山にはお稲荷様があるので、稲荷山コースと言われます。この稲荷様に兄が亡くなったときも、お参りをしてから登りました。今回は姉ためのおまいりもして登りました。、何かをせずにおれないこういった行為は代償行為とでも言うのでしょうか。

 そういえば私の住む町で、よく歩いているところを見かける年配の小柄な女性の方がいます。その方がコンビニの店内床に座り込んでいるので、こんなところで座り込んでいちゃだめだよって話しかけました。ハア、とか言いながらその方は出て行きました。

 店の方にあの方はよく買い物をされる方でしょうと聞くと、いつもはたくさん買ってくださるのですが、最近は買い物をしないというのです。更に話を聞くと、この前預金通帳を見せて、これで買い物をさせてくださいと言われたけどそれは断ったそうです。

 その一週間以上後の事です。その小柄な女性の方が今度はそのコンビニの近くの歩道に座り込んでいます。私は先にコンビニで話を聞いてあったので、どうしたのって聞いてみました。その方はハアとしか言いません。それでお金がないの。ご飯食べているのと聞くと、ご飯を食べていないとの事でした。

 じゃあ、私がコンビニで何か買ってきてあげるからと言って、コンビニで1,000円とチョットの、すぐに食べられるおにぎりとか、後で食べるパンとかと、飲み物を数本買いました。それを持って、じゃあこの買い物袋を私が持って、あなたのお家まで送っていってあげるからと言って、その方とその方の家のある方に向かいました。

 家は幸いなことに近くの団地でした。団地に一人で住んでいるのかと聞くと、おばさんと住んでいると言うのです。知っている人ですかと聞くと、知らない人だというのです。エー、そんな事があるのかなあと思いながらその方の家に着くとその家からは、かなり高齢の背の少し曲がったおばあさんが出てきました。その時は私はこれまでのいきさつを話すと、そのお母さはキリスト教を信心しているので、あなたを神様がよこしてくれたみたいだと喜ばれたものでした。

 そのおばあさんの話によると、その小柄な方は実の娘だそうです。そのお母さんである方とも口を利かないし、自分の食べ物は自分の年金で買って食べていると言うのです。それなので、これまでのいきさつを話すとお母さんは多少驚いていたようでした。それでも、心配はしても、積極的にその娘さんにかかわろうとはしないみたいです。

 その娘さんは後天的に多少精神的な障害を負った方のようです。その方の母の話によると以前はちゃんとしていてきれい好きだったそうです。いつの間にかおかしくなったと言っていました。いろいろお母さんから話を聞いていると、民生委員も保健婦もこのお宅にはお出でになるそうなので、娘さんの処遇に付いても話し合っているらしいのす。

 一日おいて次の日訪問してみました。その方の母に、娘の好きなお茶のペットボトルを10本と食べ物を頼まれ、お金を預かって近くのスーパーで買ってきてあげました。3回目の訪問は、買い物もないし娘も買ってきたものを食べてないので残っているので大丈夫ですと言われました。

 4度目の訪問はインターホンで話しただけで、お母さんは忙しいと言ってドアも開けてくれませんでした。それ以上の介入は私には出来ないのでそれで終わりにしました。そうですよね、どこの誰かも分からない人に立ち入られちゃ。その時は良くても、やがて迷惑になりますよね。といっても私は自分の名前と、居宅と電話番号を教えてきたのですが・・・。

 何故、こんなことを書いたか。それは何の気もなしにこんな行為をしてしまったけど、子を失った猫や動物が、他の孤児となった動物の赤ちゃんを育てることで代償行為を行う事があります。私も姉を失ったことで、誰かの面倒を見るという代償行為をしてしまったのだろうと思うのです。

 その結果は人の複雑さゆえ、素直な代償行為とは認めてもらえませんでした。そういった事は厚意であっても、受け取る側はやがてその人が、何らかの別の目的を持っているのではないかと思ったり、あるいは誰かにそんな事を言われたのかもしれません。私の突飛な行動は相手に与える影響をも考えて、その後すぐに、民生委員に相談をしておけばよかったかなと反省しています。

Cools