幻の声
2004/08/21

 昨日は早くから眠くなり9時過ぎには寝てしまった。

 昨日の夜はまだ少し蒸し暑かったので、ベッドで寝ると寝具でより暑いので、フローリングの床に枕を置いて寝ていた。これがけっこう快適なのだ。夏の間はこんな寝方をしょっちゅうしている。実はクーラーがあまり好きではないのだ。

 クーラーは好きではないが、空気がからっと乾燥しているドライ状態は大好きなので、以前はエアコンは梅雨時からドライ運転をしていた。そんな風になって数年エアコンを使わなかったら、そのままエアコンも故障して動かなくなった。エアコンを使わなくても、床で寝ればけっこう快適な事がわかってから床で寝るようにしたのだ。それでも扇風機ぐらいあればよいのだが、その扇風機も居宅にはないのだ。

 扇風機なんて今は幾らもしないで買えるのだから、ちょっと買ってくればと思うのだが、なかなか扇風機を買おうという気がしない。といっても植物栽培の温室のような小屋には、工事用現場の大形扇風機と壁掛け首ふり扇風機が3台の計4台の扇風機が回っているのだ。いやこれに換気扇も回っているから計5台の扇風機が回っていることになる。わずか数千円で扇風機ぐらい買えるのだが、なんだかもったいないような気がしてそのまま過ごしている。

 扇風機もないので床で凉をとるように寝ている。どんな暑い日でも蒸す日でも、手にウチワを持って扇いでいればいつの間にか寝てしまっている。そんな風に寝ていても、夏でも朝方は肌寒い事があり、5時か6時ごろ肌寒くて眼が醒めて、あわててベッドにもぐりこむことも少なくない。今日の朝も明け方はフローリングの床で寝ている私にはやや肌寒かった。

 昨晩早めに寝たこともあって早めに眼が醒めた。ゆっくりと朝の目覚めの中で醒眠の間を彷徨いながらも、体はだんだんと目覚めていく。私はベッドに横たわったまま左腕をラジカセへと腕を伸ばし、ラジカセのテープコントロールボタンを指先でまさぐりながら、左奥から2つ目のボタンを押しカセットテープの音楽を流す。

 カセットラジオデッキから曲が流れ出すと、私はその曲に合わせて歌を唄いだす。それらの曲は今気に入っていて歌いたい歌謡曲ばかりだ。それらの曲はかなりなつメロに近い歌ばかりだ。私の生まれていない頃の昭和元年から20年頃の緑の地平線や祇園小唄、湯島の白梅・勘太郎月夜唄なども入っている。

 当時の流行歌は歌の流行期間が長かったようで、生まれる以前の流行歌から物心つく頃までの流行歌は何時とはなしに私の中にそれらのメロディラインが郷愁的に残っているらしく、それらの歌を唄うのは私にとってはとても心地よいのだ。それにまして、それらの歌が私には、全く古臭く思えないのだ。

 10数年から70年近くにもなる古い歌が、古臭く思えないということ自体、過ぎ去った年月の各年代間が狭まって平板化してしまい、昔のこともつい昨日のように思えるようになってきているのだろう。つまりそういった感覚が生じだすというのは、高齢の方によくみられる現象なので、私も少なからず歳を取ったということだろう。

 まあ、そんなことでも歌を唄うのが楽しいので、朝起きしなから10数曲を続けて歌ってからトイレに行く。トイレに行く間にテープを巻きもどしておくのだ。トイレでは今度は「外郎売」口上の練習をして口の動かし方と発音の訓練をする。

 そしてトイレから出てきて、朝食の支度をしながら先ほど吹き込んだカセットテープを再生させて、自分の歌を聞き唄い方や発音をチェックする。これらの唄を何度聞いても、唄っている時の気分の良さとは裏腹に、実に下手糞で、歌詞もろくに丁寧に発音できていない。もちろん曲に歌詞は乗っていない。しかも先走り気味の唄い方。

 今日の朝食は甥っ子が横浜で買ってきてくれた肉まんである。肉まんを冷凍しておいておいたので、それを圧力鍋で蒸して食べた。それにかぼちゃとの煮たものと、ほうれん草のゆでたものと牛乳が朝食であった。かぼちゃもほうれん草も、共に煮たりゆでたりしただけで味付けは一切しないし、お醤油などをかけて食べることもしないでそのまま食べる。

 朝食をとりながら自分の歌を聞いている。ここに幸ありの歌を聞き終わると小さな「すばらしいじゃん」という声がして、引き戸のドアを閉める音がはっきり聞こえた。若くも歳でもない年代の女性の声のようだった。えっ、と思って少しテープを巻き戻してもう一度聴いてみた。確かに同じ声が聞こえ引き戸を閉める音もする。そんなと思ってもう一度テープを巻き戻す。やはり聞こえる。

 最初にその声が何故テープから聞こえたと思ったか。それはカセットラジオデッキから声が出ているからである。それに朝食を食べているところで、中からも外からもそんな声の入る場所はないし、まして引き戸の音なんてないので聞こえるはずもない。それにここは二階だし、周りに二階建ての家もないので、隣からの掛け声なんてこともない。録音時でもこれは同様である。

 もう一度確認してみようと思いテープを巻き戻して聞いてみると、今度はその「すばらしいじゃん」声も引き戸を閉める音もない。んっ、と思ってテープを巻き戻して何度か聞き返したが、そんな異音はどこにもない。普通ならこれでちょっと驚くのだろうが、私はこんなことで私は驚かない。

 あるはずのない音が入っていて、そのあるはずのない音があるはずなくあるはずない状態に戻ったけど、私は驚かない。それは理性が強いからそんなことはありえないと否定して認めないのでもない。ただ、ああそうかなあと思うだけである。それ以上の何もない。けどこんな現象を面白いなあと思う。

 現(うつつ)の時の出来事なら寝ぼけていたともいえるが、歌を10数曲唄っているのだから小1時間経っているし、そしてトイレに行き、それから朝食を作りながら録音をした唄を再生し、更に朝食をとりながら録音した歌を聞いていたときの事だ。これだけ時間が経っているのだから、起き立てて寝ぼけているはずもないだろう。が、これらの現象が事実かどうか知らない。知りえることも出来ない。知ってもどうにもならない。

 私は目の前に幽霊みたいなものが現れても、その人と話をしても違和感を持たないで話をしてしまうのかもしれない。かといってそれが事実だとも思わないし、そういったことが無かったとも否定しないだろう。なんなんだろうかこんな感覚は。

 ひょっとしたら、私のあの世との期間が近づいてきているのかもしれない。私の兄弟の兄と姉はは共に57歳で亡くなった。私の母は私が3歳ごろに亡くなった。父は私が10歳の頃の事だ。どうやら私は短命の家系の様である。私が57歳になるまであと2年とちょっと。私自身これを人生最大の節目と思っている。

 その節目より先の人生があるのかどうか、それは私にも誰にも分からない。もしその節目の人生を乗り越えることができたら、その時はまだこのサイトが存続しているだろう。それまでにこのサイトが無くなれば、私の節目はそこで終わったことになる。

 さあ今日もカラオケボックスに行って、ランチのおにぎりを注文して、ランチタイムの2時間を歌を唄いまくってこようか。天気も良さそうだし、私はとても幸せである。ちょっと右頚動脈と右脳下部が軽く疼くようなのが気になるなあ(笑)

Cools