早いもんだ、もう今年も十月に入ってしまった。今年も残り三ヶ月。今年は私にとって大変な事が幾つかあった。残り三ヶ月はどんな事があるのだろうか。幸ある出来事をことを祈るばかりだ。
人にはなくて七癖というが実際いにはその何倍も、いや何十倍もの癖を持っていることだろう。その癖が良い意味でも悪い意味でもその人の人格を作ってもあるのだ。
癖の少ない人はその人のライフスタイルの線がきれいに見えるだろう。でも、それは外見だけで、実際には多くの癖を内包しているがそれを押さえているだけかもしれない。そうでない人の場合は、癖がない分人生の幅も深みもボリュームがないかもしれない。
癖の多い人は個性豊かな人が多いだろうと思う。しかしただ単に癖が強いだけだと、それはどっちかというと鼻つまみの嫌われ者になってしまうだろう。個性豊かで人にも好かれる癖の多い人。それは魅力的な人だと思う。そういう人は自分の分の癖を自覚していて、その癖から自分の魅力を引き出すすべも知っているだろう。
癖の強い人は一見取り付きにくいかもしれない。自分の癖を知っている場合と知らない場合があり、いずれにしても自分他者との間に何らかのバリア=障壁を感じているはずだろう。癖の強い人のバリアを越えて入っていける人とは、数は少ないがよき友となれる可能性も強い。
癖は癖というように単純に癖があるというようなものではなく、癖はこんなふうに人の人格を作っている源ともいえるのではないか。なくて七癖、おおくて七十七癖とも言われるが、人の癖はそんなに少ないものではないだろう。
癖は曲と語源が同じとか。どちらもその人固有のしぐさなどである。ところがそのしぐさとは、その人の意思表示であるのだ。つまり体で表現しているボディランゲージだ。
聴いている話がつまらなっかったり、心が抜けたような暇だったりすると、女性だと自分の髪の毛の先を触りだしたりする人もいる。これなど無心の行動だが、自分の心の所在無さを表しているのだろう。男だとこういった場合は、貧乏ゆすりをする人もいる。
そんな癖だが自分がどんな癖を持っているのか、それが実に分かりにくい。普通、自分を自分で観察するなんて事はまずしない。せいぜい鏡を見て自分のスタイルをチェックする程度だ。そのときの顔もスタイルも既によそ行きに出来上がっているので、それは単なる虚像でしかない。
その虚像はその人にとって薄っぺらなほんの一皮にしか過ぎない。もっともその薄っぺらなほんの一皮によって人は影響を受け、そこにいろいろな感情が入る。人は一見の視覚強くとも影響を受ける動物なのだ。その結果、薄っぺらなほんの一皮と、その人自信である癖との乖離が大きくなって落胆することも多くあるだろう
いつも笑顔のニコニコした人に接すれば、その人がとてもすてきな良い人に見え、決して悪感情を抱くことはないだろう。笑顔の下にどんな癖が隠れていようとも、その癖はなかなか見えるものではない。相手がその癖を出さない限り、決して見えるものでもないだろう。
相手が笑顔の殺人鬼であれば、あなたは死の寸前に相手の正体を知ることが出来るだけだ。そのときはもう遅い。とはいえ、多くの場合笑顔を作る努力をしている人は、笑顔を作る努力をしていれば、笑顔作る努力が体と心にも滲み込んでいくので、多くの人の場合は好意的な善良な人であるので安心して欲しい。
笑顔がよくて愛想がよくて、仕事はまるっきり駄目という人もいる。その人はそれが癖なのである。その癖は人に嫌われたくないという癖である。だからどこへ行っても笑顔で愛想がよくて最初は好かれるが、やがてその人とした約束事が空手形ばっかいりだとが分かるに及んで、笑顔が良くて愛想の良い人に厳しいことを言うようになる。
こういった場合の笑顔が良くて愛想が良い人は、その場だけ嫌われないように必死に生きているので、多くの場合は自身の心が病みかけている場合がある。いずれ登校拒否や出社拒否状態になってしまう可能性が強い。これらの人は身内がそのような癖の人間性にしてしまった場合が多いので、身内ではこの人の癖のある心は癒してあげることが出来ないだろう。
なくて七癖、おおくて七十七癖。多くて七十七癖は七十七個の癖があるというのではなく、「七十七」同じ数字を重ねることによて数が多くあるよという意味である。多いという数を表すのには日本では他に「八」がある。例えば江戸は八百八町、大阪は八百八橋なんてたくさんあるということを八で表す。
中国では「九」を多い数で表すと聞いたことがある。蘭の花で一茎一花とか一茎九花とか言う場合に、この九は数が多いという意味で用いるらしい。実際には「九華」というふうに使うそうだ。本当かどうかは知らない。
人のボディランゲージ的な癖は、その人を知っていく内にその癖を発見するようになる。その癖が好ましいものであれば、自分にもその癖が取り込まれよい感情として残る。そういったことで顕著なのは、赤の他人なのに兄弟よりも顔のよく似た夫婦なんてのがある。これはお互いのしぐさ表情が似通ってきて、その結果夫婦は似てくるという事であろう。
好意を持った人の癖を他の人の中に発見し、それでその人にも同じ好意を持つ事もよくあるみたいである。でもそれが分かれた恋人や夫の替わりに求める代償行為であった場合は、一つ二つの癖が同じだけで、ほかは全て違う癖であるので自分の求めていた物が得られるとは限らない。
さてさてその癖だが、癖の所有者である自分自身は、どんな癖があるのかほとんど分からない。無意識に出ている癖などは特にどんな癖なのか分からない。しかしこの分からない癖をちょっとでも知っておく方法はなにかないだろうか。
一つは複数の他人に観察してもらった結果を教えてもらうことである。ド小園研修センターみたいなところでならこういったことも行っているのではないだろうか。と言っても、これは誰でも利用できるというわけには行かない。
それでは自分の周りに鏡を置いておくというのはどうだろうか。特にデスクワークの人は机の上にいくつか鏡を置いておくとよいだろう。ふとした時に、鏡に写った自分お顔を目にすれば、その時の顔が無心の時の顔である場合が多い。
私は最近カラオケに凝っているので、マイクスタンドを購入し、マイクの横に小さな鏡をつけて口の動きを観察している。これはなぜかというと、上唇の歯茎が見えるぐらいに口を開けると、音の響きがよくなるというので、その為に口のあけ方をチェックするためなのだ。
パソコンで入力作業をしている時・・・例えば今だ。そのときにそのマイクスタンドの鏡がチラッと目に入るときがある。その時の自分の顔が自分の知らない顔なのだ。ちょっとびっくりする顔である。出来れば人に見せたくない顔だ。
どういう顔かと言うと、その癖は口に出ている。口の中の上下の歯は指一本ぐらい離れていて唇は閉じている。唇は閉じていても、上下の歯と歯の間が指一本ぐらい離れているので、顎が下がった状態になっている。なので唇はほよっっと言っているよう形になっているのだ。その上目は真剣なのだ。
どうだこんな顔。ちょっと人には見せられない顔じゃないだろうか。私は何かに集中して作業をしていると、こんな顔になるみたいなのだ。こんな顔は、人には見せたくないねぇ〜っ。
Cools
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