今日は新宿コマ劇場に「都はるみ」コンサートに行くことになっている。開演は夕方5時から。コンサートをとても楽しみにしている。
私は歌が好きになってから8ヶ月ほど経った。歌が好きというのは自分で唄うことが好きになったことなので、それまでだって流行歌にしろどんな音楽にしろ好みの歌を聞くことは嫌いではない。
一番好きなのはABBA(リンクあり)である。リンク中にある記事で・・・
『イギリスのブライトンで開かれたユーロヴィジョン ・ソング・コンテストに「恋のウォータールー」で挑戦し,
見事グランプリに輝き一躍スターダムにつきました。』
・・・(リンク先より引用)とあるので、同年の1974年ごろに私はこの番組が日本で深夜に放映されていたのを見たのだと思う。その時にABBAがいっぺんに好きになりました。
それでも好きになっただけで、特にファンになるということもなくレコードやテープを購入することもありませんでした。その後ABBAの活躍は目覚しくヒット曲を次々とリリースしていったようです。その後ABBAの代表曲が収録されたテープを手に入れてからは毎日ABBAを繰り返し聞くようになりました。今は「グレイテス・ヒッツ/アバ」CDを楽しんでいます。
そんなわけで今でもABBAは大好きです。時々番組などにABBAのヒット曲が流れると、心はその当時に飛んで行ってしまいます。ABBAの歌はいつ聞いていても何時間聞いていようと飽きがきません。
と書いていて忘れてしまいました。もっと前に中森明菜ちゃんのデビューアルバム「メモワール」というCDを買って、これも良く聞いた覚えがあります。そのCDは今でも持っています。「瑠璃色の夜へ」や「スローモーション」などが特に好きですが、このCDの歌はどれでも好きです。今では「セカンドラブ」なんかをスナックで歌っちゃうことさえあります。
私は姉のリハビリになればと、それまで音痴だから人前では歌をうたうことをしなかったのですが、姉の入院先の病院や施設内を姉の手を引きながら二人で童謡唱歌や流行歌などを歌いながら歩き回っ低手、いつの間にか自分が歌を唄うことがすっかり好きになってしまったのです。
といっても積年の音痴はそう簡単には治りません。それでもあきらめずに8ヶ月が経ってやっと少し声にも透明感が出てきたかなと思えるようになりました。でも音程部分がまだまだふらついているようです。
私が歌を唄うようになったのもパソコンがあるからこそです。パソコンがなければ私は歌は唄うことはなかったでしょう。今もインターネットにあるいろいろなMIDIを利用させていただいて歌の練習をしています。
そして私は自分の歌をテープに録音します。そのテープを自分で聴いています。下手な歌も毎日聞いていると、これも一種のナルシズムかもしれないですが、なんだか自分の歌のファンになっちゃうのが不思議です。
前日スナックで飲んでその後カラオケボックスの朝帰りでしたので、昨夜は自分の歌を聞きながら早めに寝てしまいました。そしたらどういうわけか夜中の3時ごろに目が開いてしまいました。私は早く寝ようが遅く寝ようが朝の6時ごろでないと目が覚めないのですが、目が覚めだしたので自然と朝だと思って歌を吹き込んだカセットテープの入ったラジカセのスイッチを入れて歌を聴きながらまどろんでいました。
90分テープを2本を両面聴いてもまだ朝の6時ごろでした。もう一本のテープを聴きながら寝ようと思っていたら、誰かが寝ている私のベッド右側を歩いています。歩いているのはベッドのマットレスの上ですからその振動が伝わってくるので実感できるのです。それも何度か往復しています。体重は軽くスタイルの良い若い女性のようです。というのはイメージは足しか見えませんでした。その足はすらりと美しく理想の美脚です。さらに私に睡魔混迷が襲ってきたのでしょうか、今度はベッドが動き出しました。介護用の電動ベッドのように頭部がまず持ち上がり、それからベッド全体が立った人の胸ぐらいまで持ち上がりました。この時でもラジカセから流れる自分の歌は鮮明に聞こえていました。
これは金縛りなどの脳がなせる現象だとわかっているのですが、寝ていた私は落ちるんじゃないかと思う感じです。ベッドの中で落ちないように小さく縮こまり枕にしがみつきました。それでもこれは現実じゃないのです。寝ようとする私とある程度起きていて音楽を聴こうとする私との狭間で脳が作り出した幻想感覚なのです。それもリアリティある実体験と勘違いするほどの感覚です。これは仏教などで断食などの行の最終で人としての限界ぎりぎりに陥ったときに現れる事のある魔境というやつでしょうか。
人の脳には危機に際して時間を延ばしたり感覚を麻痺させたりする作用があるそうです。交通事故で車から投げ出され路面に落下するまでの時間がまるでスローモーションのようだった記憶している人もいます。足の骨が折れているにもかかわらず、先になすべく関心事に集中しているとそのことに気づかなかったなんて事も多々あることです。
そして臨死体験。これなどはすでに脳の中にプログラミングされていて、人の脳のどちらかの側頭部分器官を電気刺激すると、天使のラッパが聞こえたり、花園が見えたり、暗いトンネルを抜けて光の国が現れたりと、それぞれの宗教観に応じた臨死体験と同じような現象が現れるそうです。これなどは脳が自分を守るために脳を幻覚させる麻薬物質を作り出すからだと言われているようです。
先のベッドの話に戻りますが、私以外に誰もいないのに私の寝ている横を人が歩く。これは一種の金縛り現象です。20年ほど前になるでしょうか、私は数ヶ月間ときどき金縛りにあいました。そのころは畳に布団で寝ていました。その布団の上を小型の四足獣が歩き回るのです。そして耳元付近に来ると生暖かい息もかかるのです。
最初は何がおきているのかわかりませんでした。思い当たることは数ヶ月前です。姉が家族で外国旅行に行くので、ペットのポメラニアン一匹を預かってほしいと言ってきたのでそのポメラニアンを預かったのです。私は動物は嫌いではないので、その犬としばし生活をともにしました。寝るときも一緒に布団で寝ておりました。
そのポメラニアンを姉に返してから数ヵ月後にこんな現象が始まりだしました。布団に入って眠りにつこうとしているのに、なぜか睡魔が襲ってくるのです。寝ようとしているのでそのまま寝るのじゃなく、睡魔等眠気が襲ってくるのです。そして何かがやってくる気がします。これはもう確実に何かかやってくる気配を実感として感じするのです。
夢ならどんな不思議なことでも、人はどこかでこれは夢なんだからと、それこそ遊体離脱したみたいにその夢を冷静に見ている自分がいるはずです。ちょうどテレビや映画を見ているみたいな感じです。
ところがこの金縛りは実体感があるのです。四足動物が歩くたびに布団が沈んでその重みが私の体に伝わってきます。耳元で暖かい息がかかります。これが現実でなければ、この世の現実なんてそれも現実じゃないかもしれません。でも、それは現実じゃないのです。
いや本当は脳が作り出したバーチャルな現実なんですが、金縛りじゃないときの現実だって脳にとってはそれはバーチャルなものでしかないわけです。私がこうやってキーボードをたたいているのだって、私にとっては現実であっても、脳はは疑似体験しかできないのです。つまり脳にとっては金縛り状態の現実も、目が覚めていての現実も同じバーチャル現象でしかない可能性があります。
そうすると現実とバーチャルを区分けする境は、人の理性だけではないでしょうか。その理性が崩れだす人格分離から多重人格も生じるでしょうし、憑物や憑依といったオカルト的な現象も、本人にとっては現実であるわけです。
脳(リンクあり)の不思議さはそれを思うだけでも不思議なのに、それを思いながら自分の脳の不思議さを不思議がる。先の夢を見ている自分を見ている自分ではないが、そういったことがもっと解明されたら、新たな人類の展開が可能かもしれない。
これはどういうことかというと、一台のパソコンに複数のOSをインストールして、そのときどきに応じてOSを使い分けるように自分の脳を使い分けて使用することも可能になるのではないかということだ。そうなったときの人類はどんな世界になるのだろうか。スーパーマン時代になるのか、精神世界時代になるのか、それとも病んだ多重人格世界になるのか興味深いものだ。
どうだろう、誰か筆力のある方、その世界を小説にされてみては如何。
Cools
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