私の姉は脳動脈瘤手術の後遺症で高次脳機能障害となっていた。そのために約2年間ほど姉の入院する病院先に毎日通って、姉が離床できるようになったときから手を引いて院内散歩や食事介助など可能な限りのリハビリの手伝いをしてきた。
姉は闘病の結果むなしくも逝去してしまったが、その二年間で3つの病院に入院した。ひとつは執刀手術をした病院。二つは早期リハビリ病院。三つ目が長期介護療養型病院。この三つ目の病院姉は亡くなった。それは2004年7月26日のことだった。
2004年は暑い晴天ののよく続いた夏であった。なのにその日の午前中は雨が降った。その雨の中を姉はこれから深い未知の世界にでも行くためかのように最後の一息をしゃくりあげるように深く吸って旅立っていった。
私は兄弟であれ誰であれ人の面倒を見たりすることができる人間であるとはまったく思っていなかったのだが、入院していた姉によって私はすっかり変えられてしまった。それはどういうことかというと、高次脳機能障害により姉は自分の意思を積極的表出しないのだ。手術後遺症で左脳頭頂部に脳梗塞が見られるのと多分脳幹近くもダメージを受けたのだろうと思う。
意思を積極的に表出しないといっても姉に意思がないのではなく、その意思を表出する能力が低下しているのだ。だから自分で何かをしようとすることは少ない。ただ本など読ませておればいつまでも本を読んでいるので読解力もあるのだ。ただそれを表出する能力は低い。
私が姉の手を引いて院内外を散歩する時に私はうろ覚えの同様や唱歌歌いながら歩いていた。そうすると姉も私にあわせて歌を唄うのが分かった。構音障害と舌の動きがやや不自由なので姉はまだ大きな声は出ないが、自分ではちゃんと唄っているのだ。音が小さくて聞こえなくても口の動きを見ていればちゃんと唄っていることが分かる。
そんな姉は早期リハビリと長期介護療養型病院でのリハビリで受けたリハビリの成果も上がってきてこれまで要介護4であったのが要介護3にまで下がってきた。トイレなどに入っているときに話しかけると、誰が答えたのかなと思うぐらい大きな声も出せるようになってきていた。
これから先もっとリハビリ効果が期待できるといわれた矢先に、姉は未明の嘔吐により院内のものが気がついたときには吐瀉物で呼吸困難となって1分間に2-3回の呼吸状態に陥り脳内酸素の低下により右脳にも広範囲の低酸素脳梗塞を引き起こしてしまい、右脳左脳ともに広範囲のダメージを受け生死の境を数日間さまよった後、右半身完全不随で要介護度5の最も重い患者となってしまった。
それから亡くなるまでのは半年足らずは、姉と積極的な意思疎通ができたことはない。なくなる数日前にじっと私を見ていたのがあれが最後のお別れとしての意思疎通のようなものだったのではないかと今にしては思える程度である。
私は約二年間姉のリハビリのために病院に通っていた。姉の手を引いて院内外を散歩するのが私の日課だった。歌を唄ったり本を読んだりしりとりをしたり、少しばかりの食事介助と食後の歯磨きをするのが私の毎日だった。
要介護度5の姉に私のすることはもうほとんど何もない。食事だって嚥下能力さえ低下してしまったので径鼻カテーテルで高栄養の流動食を流し込まれるだけだ。できることは手を握ってやりマッサージをしてやる。そんなことしかすることはないのだ。他にできることはそばにいて歌を唄ってあげる程度だ。今までは動的で院内外を散歩していた私たち姉弟は、ベッドから離れることのない静的な姉弟となってしまった。
そんな日々が始まって姉のベッドの前にある高齢の女性の方が入院してきた。足を痛めたか何かでどこかの入所施設からリハビリ入院となったようである。私が姉のベッドで歌を唄っているとその方も歌が大好きだということです。美空ひばりさんの「街の子」や「真っ赤な太陽」、船木一夫の「高校三年生」、ほか「夜霧のブルース」なのど歌が好きだそうで、私もそれらの歌を一緒に唄いました。
そんなことをしているうちにいろんな患者さんたちとも一緒に歌を唄い、古い流行歌をいろいろと教えていただきました。また私もインターネットで古い流行歌を探してうろ覚えながらそれらを唄うと、唄い方を教えてくださったりして喜んでくれるので私もすっかり歌を唄うことが楽しくなりました。
今まで姉のリハビリに向けていた熱意がいつの間にか歌を唄うことがその代償行為みたいになっていました。夕食の配膳があるまでの間、患者さんたちと歌を唄って過ごすのは私にとってもすっかり楽しみになりました。歌を唄っているときはいると何も考えなくてすむのです。考え事をしていては歌の調子がずれてしまいます。それでなくても私は音痴なんです。
そんな音痴の歌でも一緒に歌うと、忘れていた歌を思い出して皆さんが歌を唄ってくれます。歌の節は思い出しても歌詞は思い出せないというので、私は歌集を作って持って行くようになりました。またカラオケテープもカラオケボックスで録音して持って行っていました。そんな日々を数ヶ月過ごして私は歌を唄うことが好きで好きでたまらなくなりました。
毎日姉の病院へ自転車で向かうときも歌を唄いながらか歌を聴きながら通っていました。ゆるい向坂ながら自転車を漕ぐ運動しながら歌を唄うのも声を出す訓練になりました。それでも音痴はなかなか直りません。そのため今は5-7時間唄い続けるなんて何でもありません。毎日だって5-7時間以上唄うことができます。それも嫌じゃないく唄えます。
病院で歌を唄っていると気がついたことがあります。長期介護療養型病院ではどうしても高齢者の方が多くなります。高齢者になればなるほど男性の割合は性比の平均寿命の関係でどうしても下がってきます。つまり男のほうが女より短命なので6割以上は女性の方ばかりです。
患者の男性と女性を比較すると、歌を唄うなんて行動は明らかに男性は参加しません。もっとも元気なころにカラオケをやっていた人は積極的に参加しますが、そうでない場合は男は自分の世界をかたくなに守るような感じで、世間話だってほとんどしない人が多いです。今の自分の境遇を自分で責めているかのような人が多いです。
それに比して女性の方はおしゃべりをすることを厭う方は少ないですし、歌も唄えないといいながらも口ずさんだり関心を向ける方が多くいます。一見怖そうなご年配の婦人でも話をすると喜んでお話になる人が多いです。それと反対に男性はほとんど話をしませんし、話をしても自分が社会でいかに何かをしてきたかので自分は偉かったんだというようなプライドを示そうとします。
つまり男は孤高を保とうとする場合が多く、女性は環境に適応しようと前向きな面があります。多くの高齢者向け施設で男性の消極的かつ孤高を保とうとする性質が、施設内のレクリエーションの妨げになり、ひいては生活の中のクオリティオブライフ(QOL)の向上にならないのです。
人は飯を食って生きていればよいのではないのです。どんな環境にあってもQOLが低ければその人の人生は豊かではないのです。世界のことは分からないのですが、日本のこれまでの男には人生を楽しもうとする能力が低いのではないかと思います。それは生まれ育った国の環境が、男はこうあるべきだ的な幻想に鋳められてしまったからではないでしょうか。
ある島で猿の餌付けが行われていて、一匹のメス猿がその芋を海水で洗って食べることを始めたそうです。それからその行為が広まって、その島の猿は芋を海水で洗って食べるそうです。多少塩分もついて美味しくなるのでしょうか。こんなところが人間にとっても料理の始まりかもしれませんね。
面白いのはその芋を洗って食べたのがメス猿だということです。オス猿ではないのです。私は友達は少ないのですが、いやほとんどいないに近いといっていいと思います。地元で生まれていないそれほど社交的でもない人間がどうやって友達を作るかというとそれは非常に難しいです。多少の知り合いにはなれても友達にはなかなかなれないでしょう。
それに逆に女性同士は意外と顔見知りからお友達関係になることは比較的たやすいようです。もちろんお友達になったって女同士のことですから、いろいろとぶつくさ文句はあるみたいですが、それでも男同士よりはお友達を作りやすいようです。
男が友達を作るには地元で育ったもの同士や学友であるとか、会社の同僚であるとか、何らかのサークルや活動の仲間であるなど環境的な要因から友達になる場合が多く見られると思います。もちろんこれは女性同士でもこういった関係からの友達のほうができやすいでしょう。
中高年のいろいろな習い事を含サークルのようなものを見ていると、圧倒的に女性の方が多く参加なさっています。これは女性のほうが時間に余裕があるからともいえますが、定年退職した男性だって時間的に余裕があっても、定年後にそういったサークルに参加しようと行動を起こす人は少ないみたいです。男は以前から続けている連続行動の継承性は強いですが、新規開発の努力能力は低いのか消極的な面が見られます。
唯一女性より男性のほうが多いサークルのひとつとして「話し方」教室的なものがあります。男性のほうはどうにも切実的な事には参加するみたいです。結局は本能よりも頭で物事を考える左脳人間なのでしょう。この辺が男の平均寿命を女よりも短いものとしている原因があるのかもしれません。事実男性と女性では脳の構造システムも違うそうです。
私は日本の社会を作ってきたのはずっと男だと思っていました。ところがバブルが崩壊してみると日本経済のリーダーたちは単に名目だけの存在であればよい能無しに近い人種だということが露呈してきました。戦後の右肩上がりの経済の中では経営のリーダーはひょっとしたら猿だってよかったのかもしれません。いや南瓜だってよかったのです。その程度の役割がリーダーだったんじゃないかなと思えます。
それが証拠にバブル崩壊後の経営難を回避できたそれまでの経済人として誰がいるでしょうか。逆境にあってこそそのリーダーシップが必要なときに、経営手腕が必要なときにこそその能力のなさを露呈してきたのがその証拠ではないでしょうか。単にお飾りのリーダーなら誰でもよい。極論すればちょっとしたい名門とそれなりの大学さえ出ていれば猿だって南瓜だってよかったのだ。
となるとこの世を支えてきたのは陰の存在のような女性だったのではないかと思えるのだ。ちょっとかいかぶりすぎに思えるかもしれないが、私の物書き能力ではその辺を説明でききれないが獏としてそう思える部分がある。
ある神は男の肋骨から女を作ったというがそれはまったく的外れな啓示であろう。遺伝子情報を複雑にして種としてより多様化するために精子という手段で遺伝子交換目的のために生まれたのが性としての異性=男性に過ぎない。男はそれこそ女の陰毛の一本から生まれたに過ぎないのだろう。
男の遺伝子は「XY」。女の遺伝子は「XX」。これをみてよりどちらが完全か分かろうというものだ。不安定な男の遺伝子はによって性がコントロールされているように見えるが、実はその不安定性は女が男というウィルスを作って遺伝子情報を運ばせるに過ぎないのものなのだ。男は単なる遺伝子の物入れに過ぎない。
単なる遺伝子の物入れに過ぎないウィルスとでも言うべき男はどうやって自我を確立するか。ない世界をあるがとごく見せるバーチャルな世界を実現させることによって自我を確立させてきたのだ。そのバーチャルな世界が今の世の中である。これは左脳の世界ことだ。頭で考えてこなければ生まれない世界なのだ。人の文化歴史は左脳が作り出したバーチャルリアリズムワールドなのだ。
それに反して女は主に左脳も使ってるのは当然だがより、右脳で物事を処理している面があるのではないだろうか。そういった面があるからこそ環境になじみやすく人との融和も図り易い面があるのではないだろうか。ストレスに男よりは対応性があるゆえに寿命も長い。それが男と女の特徴になるのではないだろうか。
ならば、男も見栄や建前や一般論ばかりをこねる左脳行動を抑えて、女性的なやや柔軟な愛嬌的思考を取り入れる様な社会にしてはどうであろうか。男性の女性化。その男性の女性化は現代の若者の一部にはすでに男性の女性化が始まっている。こざっぱりした小奇麗な男性が目立つようになってきた。
男性が女性化した社会の中で女性は自らのアイデンティティを確立するために男性化するのか、それとも新たな遺伝子媒介ウィルスを自らの手で社会に作らせるのだろうか。その新世紀はどうなるのだろうか。新たな遺伝子媒介たる花粉を運ぶ送粉者(ポリネーター)はバイオテクノロジーの分野で急速に進んでいる。それは性として種としての女の生存本能の反映ではないのだろうか。
Cools
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