人にはいろいろなしぐさや癖があります。しぐさと癖の違いは、見る人にとって好ましいか好ましくないかの違いだろうと思います。よいしぐさは気づきにくく好ましくないしぐさは癖として目立ちます。
まがりなりにも人前で行動するときに不意に出る行動のうち癖はなるべく出したくないものです。車の中に乗っているから油断して鼻毛を抜いていたりとか、道にタンを吐くとか、食事中にテーブルにひじを突いて箸を使うのもみっともないです。箸で器を引き寄せたぐるなんてのも、普段そんなことをしているとその動作が無意識のうちに不意と出てしまうものです。
箸で器を引き寄せるのは考えてみれば実際は合理的であっても、食事の作法としては下品な行為とされています。そういった不意の行動を人は見ています。私も必ずちゃんと観察しています。ということは私を観察している人もいるはずなので、私はなるべくそういったことをしないように注意しています。それでも意識外の行動として出てる癖は自分でも気づかないうちにいろいろたくさんあるのだろうと思います。
私は歌を唄うことが好きになりました。それで人が唄っている身振り手振りや口の動かし方などをどうしても観察してしまいます。私など口から歯を見せるなといわれて育った者です。男が歯が見えるほどおしゃべりをしたり笑ったりするのはみっともないといわれてきました。でも歌の練習には口を大きく開けることが必要です。
音をきれいに出すには上歯の歯茎が見えるぐらいにすると音が澄んでくるのです。男は歯が見えるほど口を大きく開けるなといわれて育った私は、最初のころは口を大きく開くことができませんでした。そんなことをすると逆に恥ずかしくててれ笑いしちゃいます。それでも歌を唄うには上顎を持ち上げるようににたっと微笑んだ感じにして唄うとよいということを知るようになりました。それまで歌手の人がなんであんなに口を大きく開けてお獅子のように歯を出すのかみっともないなあと思っていたのです。喉の奥まで見えちゃう人だっています。
男性の演歌歌手などでは曲の関係もあってあまり口を大きく開いて唄う人は少ないですが、それでも基本的な訓練を受けているので声が澄んで歌えるのだろうと思います。声楽などやっいらっしゃる方などでは必ずといっていいほど大きな口をあけて歌を唄います。しかも女性の方は可能な限り上の歯が見えるような口の形にして歌を唄っている方を多く見かけます。
スナックなどで唄っているほとんどの人は口が開いていません。当然歯を見せて歌っているような人はごく稀です。喉と口だけで歌っている人が多いような気がします。それでもマイクがあるので声量はあるように聞こえます。マイクを口に近づければよいのです。ある程度喉を開いて口を大きく開けて音を出すことが、よい唄い方の条件のようです。まあ、楽しんで唄うだけのカラオケにそこまでしなくてもという方もいらっしゃると思いますが、好きなことは上達したいのは野球だってテニスだって踊りだって同じことです。繰り返し練習の努力しかありません
インターネットで発声方法やボイストレーニングの方法を調べて自分なりにできる発声練習をしています。そのときには口は意識して大きく開けるようにしています。そんなことを繰り返し練習していれば、人前で大きく口を開けることができなかった私も平気で大きく口を開けることができるようになりました。人前で大きく口を開けるためには口の中もきれいにしておかなければならないので口腔衛生にもよい面があると思います。
口を大きく開けて歌を唄うと歌もつい怒鳴り歌になってしまいますが、腹式呼吸で歌うので何時間歌っていても喉が痛いと思うことはありません。さすがに七時間も連続で唄うとちょっと喉が疲れたかななんて思うこともありますが次の日もまた何時間でも時間が許す限り歌の練習をしちゃいます。好きなことは上手な人の動作を盗むことも上達の早道です。つまり人のよいなあと思えるいろいろなテクニックを真似するわけです。そのために人が歌を唄っていると私はその人の唄い方をちらちらっと見ます。
ある女(以下「ひと」と読みます)と二人でカラオケボックスに行きました。そのある女は歌がうまいのです。最近知り合った友達未満の異性です。どういうわけかこの女は知り合ってから日が浅いにもかかわらず、私の人間性をどちらかというとぼろくそに言うのです。私は自分を知りたいと思っています。どういうことかというと人が見た自分というものを知りたいのです。
この女は私についてぼろくそに言うのは私をけなすために言っているのじゃないのが分かるので、私もなんだかその人が私のことをぶうたらぶうたら言ってもそれが当たり前のような気がしていていくらでも言わせておきます。私もその女も行くスナックに勤めている女性が、なんであの人(私のこと)はあの女(今、一緒にカラオケボックスに来ている女)にあんなにがみがみと言われなきゃいけないのって、スナックのママに言うほどに不思議がります。そりゃそうでしょう。私だってこんな女は初めてです。
カラオケボックスでその女が歌を唄っているといくつかのしぐさが見えます。どのしぐさも私にとっては素敵で可愛いしぐさです。なのでカラオケボックスで二人だけだということもあってついつい見つめてしまいます。そうしたら、「そんなすけべな顔をして見つめられたら歌が唄いにくいって」本気で怒られちゃいました。「見るんなら時々ちらっちらって見る程度じゃないと失礼だわよ」ってさらに本気で怒るのです。
私はこの女にはそんなことを言われても怒りはしませんが、でも俺にそんなことを言う人なんて初めてだって言いました。そしたら「そうでしょ。だからそのことを教えてあげているの」とも言いました。そうか、俺って女の人を見ている顔がすけべっぽいんだな、気をつけなきゃッて内心このことを肝に銘じました。この女に私は完全に負けてる。
話しが外れますが、このすけべっぽい顔ってその人の顔がすけべかどうかは、相手の印象だけのものなんです。私の顔がすけべっぽい顔…そりゃ女の顔見て涎を垂らして薄ら笑いを浮かべていれば確かにそうだけどそんな人は作為的な物語の中にしかまずいないだろう…なのはその女の心の中にそういった観念があることなんです。
私も特定のタイプの女性を見るとすけべっぽい顔や体をした女だななんてことも稀にあります。同性にもそう感じるタイプもあります。でもそう思えたって実際にその人がすけべかなんて分かるはずもありません。自分の心の中で特定の条件にマッチした顔や体の動作でそう思えるのです。たとえば混んでいる電車の中で痴漢にあって犯人をとっ捕まえてやろうと振り向いたけど、痴漢をした人が誰か分からないときに犯人にされるのは、その痴漢行為を受けた人にとって好ましくない顔をした人になる可能性が強いそうです。
つまり本当にその人が痴漢かどうかは関係なく、振り向いて何人かの顔を見たときに自分にとって好ましく思えない対象の顔をしている人を犯人だと思ってしまうのです。実際、痴漢行為を受けた女にとって好ましくない相手を犯人にしてしまう冤罪も少なくないそうです。私の顔が平均的以下の顔だってことは理解していますけど、誰にとって特に好ましくないかなんてことは分からないので、混んでいる電車の中では痴漢に間違われないように自衛手段とし手すりに両手をかけるのがいちばんかなと思っています。
思い込み冤罪で痴漢にされてしまう。こういった思い込みによる冤罪ほど恐ろしいものはないでしょう。当人にとって既成事実のであっても、その対象者として認定されてしまえば冤罪を晴らすことは不可能に近いものです。これを悪魔の証明とか言うようです。悪魔の証明とは証明できないことです。単純に行きずりの二人の間で痴漢行為があったと言い合ってもそれは当人以外に知る由もないことです。この場合は訴えたほうに理があると思われ訴えられた側はその悪魔の証明を強要されることになります。
「すけべな顔をして見ないでくれる」なんてもし40代以前に言われていたら、そりゃあ私としても相当ショックだったと思います。それが救われるのは50を過ぎていてそんな言葉に動揺しなくなっているのと、なんだかんだといいながらでも一緒にカラオケボックスに来ている女(ひと)の言葉なのでそうは言われてもという余裕もあります。時々の深夜から朝の五時ごろまで飲みながらのカラオケボックスです。異性の対照としてみる見ないは別にしても本当に嫌な人間なら何度も二人きりで一緒には来ないでしょう。50過ぎの男が女性の顔に見とれているのも言われるように「すけべ」かもしれないなあと思い、それからは唄っているときはあまり顔を見ないようにして時々ちらちらっと盗み見る見るようにしました。
顔をあまり見ないようにちらっちらっと見ていると手元に視線が行きました。マイクを右手に持ち左手は肘から水平にして手は軽く握るような形をしています。よく見ると指を動かして曲のリズムを取っているのが分かります。またある曲ではイントロが始まりだすとまるでカワセミのようにモニター画面をにらんでいます。曲の第一イントロの音が消える寸前、その人は水面下に小魚でも見つけたカワセミが急降下して水面に潜って小魚を捕らえるようにして「ハアッ」と吼えました。その曲は唄い出しの前に「ハア」という掛け声があってから第二イントロになるのです。
この「ハアッ」には感動しました。まるで獲物を狙うかのような姿勢で待機し、ここぞというときに繰り出してきました。「ハアッ」というよりどちらかというと「ホウッ」という声でした。こんな声を出されると胸がきゅんときちゃいます。手の動きも、獲物を見透かし捕らえるかのような掛け声にもしびれちゃいます。私も歌の練習でその女のしぐさをまねして歌を唄ってみます。指で歌のリズムをとるのです。その女は「歌は上手い下手じゃなく心だ」とよく言います。
こんな風にして好ましいと思えるしぐさは人にも媒介していきます。その女は私が唄が下手なくせにいろいろな歌を次から次から唄い続けることにもなんだかんだといいます。その女は普通の人は言わないことをずけずけと私に言う。ひょっとしたらこの女は俺に惚れかかっているんじゃないのかなあなんてことを想いながら、その女の歌を唄うときのいろいろなしぐさが忘れられない私です。でも「すけべな顔して見ないでくれる」には、正直言うとちょっと参ったかな。
Cools
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