幼児退行
2005/01/06

 朝日新聞1月5日の夕刊の「初夢正夢?」というコラムに映画監督篠田正浩さんの記事が載っていた。朝日新聞1月5日の夕刊の「初夢正夢?」から一部を引用すると≪「最近のあたってる日本映画を見ると、自分の身の回りにしか関心を払っていない。そこで『世界の中で心で、愛を叫ぶ』のように『「泣ける泣ける』とセンチメンタルにあおる。それに乗せられる観客も、幼児退行しているように見える」≫と冒頭にあった。

 なるほどそういう見方をされると本当にそうなんだろうなあと思ってしまう。これがたとえば「最近のあたってる日本映画を見ると、自分の身の回りにしか関心が払われなくなったことが良く分かる。泣ける映画やアニメがもてはやされるのも、現実の社会に明るい希望や夢を見出せなくなった閉塞社会で夢を補う代償行為なのではないだろうか」といわれてもなるほどそうなんだろうなあと思ってしまう。

 こんな私は馬鹿なんだろうと思う。自分の考えが確としてないから、≪・・・幼児退行しているように見える≫と言われるとそれが現代日本の現状を的確に言い当てたいたように思った。何であんな幼稚な映画がと私も思っていたのだ。最も幼稚かどうかも見ていないけどたぶん幼稚な映画なのじゃないかなと思うのだ。

 機会があって「機関車先生」という映画を昨年末(2004/12)に観た。この映画が日本の昔の情緒を表しただけの映像ならそれはそれでいいかもしれない。でも、まがりなりにも映画としてのストーリがこの映画にあるというのなら、私が自分で常に自認しているこんな風に書いている駄文雑文よりもひどい内容じあないだろうか。と、私がこんなふうに言っても私以外の全ての人はそう思わないかもしれないけど。それでもこんな映画を作って上映しようなんて考える経済人がいるのだろうか。いるから映画が出来ているんだけど・・・。こんな幼稚な内容なら幼稚園生が監督して作った映画だとでもいえば、おお、凄いなあと感心するけどなあ。まあこういったボケスケ映画も、馬鹿な私がか見下すことの出来る優越感を、私に与えてくれるありがたい映画と言うこともできる。

 それにしてもだ。純朴に見せながらも理屈っぽい演技をさせられている子役。必要もないのにわざわざ演出のための演出のような別離シーンでの感動強要。こんな臭い臭い映画。その臭さったら焼き芋を百本も食べて、腹の中で腐らせまくって思い切り放屁したような臭さだ。坂口君もほかの役者も仕事とはいえこんな幼稚園児でも作文しないだろうストーリーの映画によく出演したものだと思う。恥ずかしくないのだろうか。金になりゃいいか。うんそりゃそうだって、いったい何が言いたいんだ俺は。

 感情ばかりの映画だってそりゃあ悪くない。それには溜まっていった感情が溜まって溜まって爆発するようなストーリがなきゃだめだろう。感情が先にありきなんて映画じゃお話にもならない。映画の時代だっていったいいつの時代の映画なんだかも分からない。こんな映画は幼児退行以前の映画だ。映画なんてもんじゃなくてごみ以下のもの。映画を作るための消費エネルギーを考えると公害的行為の結晶といえるかもしれない。それでも涙腺のゆるい人は涙ぐんでいたんだから、現代は幼児退行といわれても仕方ないかもしれない。

 映画といえば昨年テレビ放映された北野武監督・自身主演(ビートたけし)の「座頭市」を観た。座頭市はかつて勝つ新太郎の当たり映画だったが、それを踏襲したのではなく水戸黄門や必殺仕置き人や浪人哀歌を取り入れたちゃんぽん鍋ながら美味しく味付けしてあり、楽しめる娯楽作品に仕上がっている。まだ一度しか観ていないので細かいシーンの意味づけなどが理解できてないところもあるが私には楽しめた。

 年の暮れ深夜に同じくテレビ放映されていた北野武監督・自身主演(ビートたけし)の「BROTHER」を観た。これまでビートたけしこと北野武がいろいろと映画と撮ってきたのは知っている。それでも北野武監督・ビートたけしの映画なんてとなんとなくみたいなんて気持ちにはならない。これは東南アジア系の映画も同様ででき不出来に関係なくテレビ放映されて時間があればやっと見ようかなのランク付け映画になっている。

 その「BROTHER」はやたらとテンション高めの映画で、近年の暮れに興行されテレビ放映されだした「K1」や「プライド」などの格闘技的な雰囲気があって、私はその格闘技系の番組を見るのも嫌いじゃないのだ。人と戦えるようなそんな性格でもないのにだんだんと自分のテンションが上がっていく気分がよいのだ。だから変にお話がある番組を見て失望させられるよりは、最初からストーリーの無い番組のほうが失望感を味わえないですむという思いもある。「BROTHER」もストーリーはないに近い映画で演出がうまいので観られる映画になっている。そういえば先の座頭市だってストーリーなんて目新しい内容は何もないんだ。 要は映画は如何に演出して見せるかが問題なのだろう。かつて仁侠映画を観て映画館を出てくれば肩を怒らしてそんな雰囲気になれるかどうかが演出の出来不出来というものだろう。

 今の日本は確かに幼児対向型社会かもしれない。あるスナックでテレビ番組の「初めてのお使い」シーンで泣けちゃったと言う40代ぐらいの男性の話を聞いていたところ、私は「うん、うん。そうだねえ」なんてそのときは思っていた。けれど映画監督篠田正浩さんの記事がを読んで、ちょっと待てよそれってそれも幼児退行現象の一つじゃないのかって思った。私の小さいころは家のお手伝いなんて日常生活のひとつだったけど。童謡唱歌にだって「しかれて」って歌があってお使いや子守をさせられる内容の歌だ。

 でも、何であんなことで感動しちゃったり、内容もなく泣ける映画や奇想天外なアニメ映画などにしか感動しなくなっちゃったんだろう。これって幼児退行しちゃったからなのだろうか。韓国ドラマ「冬のソナタ」出演スターへの日本での異常な人気。もちろん「冬のソナタ」という映画を見たうえでの人気なのだから、その映画を観たこともない私には分からないけ。これも一種の幼児退行なんじゃないのかなあ。幼児退行ってこの閉塞社会の一種の現実逃避だよね。

 もはや日々の生活だけを得て何を生むでもなく明確な目的もなく、知識は豊富にもかかわらず知恵は無く精神は幼児退行型。何でこんな社会になっちゃったんだろう。結局男が男の社会をバーチャル化できなくなってきた時代に女のパワーがこういった現象を生んでいるのだろうか。

 政治も幼児退行型。いつ何が起きても不思議じゃない不思議な時代になっちゃうなあ。そして破壊からまた再生されるのだろうか。その破壊のあとの再生ときに人はまた生きる目的が得られるのだろうか。それともこんなことを考えること事態、私が既に歳をとってしまったということなのだろうか。こりゃあ、カラオケばっかりやっている頭を何とか切り替えないと遺憾なあ。


Cools