こころ2
2005/01/08

 この世には男と女がいる。

 男も女も異性を求める。まあ、間違って同性を求めるものもいるけどそれは経験で後天的にそうなるのと、先天的な肉体的な性と心の中の性の違いによって同性を求める場合がある。先天的といったがこの先天的はどこまで先天的かどうかはあやしい。三つ子の魂百までじゃないけれど三つ子だって刷り込み現象によって同性を愛する気持ちを後天的に持つことはあると思うのだ。人としての記憶に残らないが同性の性的ないたずらを受けていた可能性があり、脳の中で強く影響を受けているかもしれない。今回、遺伝子的レベル(染色体)での性の間違いは触れない。

 三つ子のときに後天的に同性を愛する気持ちになってしまったら、その後の脳の発達でそのことによって影響を受けて愛する性に対応する異性になるべく脳が発達していくので、先天的に心が同性に対してしか興味を持てないような仕組みが内なる内に強固に出来上がっていく。これは後天的というべきか先天的というべきかだが、この場合はこれを早期獲得的先天的としてもよいのだろう。すでに脳の構造が愛する性に対応する性に変化してしまっているのだ。

 男でも女でもかなり後天的に性倒錯が起きることは珍しくないようだ。同性との交渉が何らかの形で始まると、同性に対してしか興味を持たないようにその後に心が変化することは男性に多いみたいだ。女性は女性同士で女性の体に興味があるみたいで、お互いのおっぱいなど触るのが嫌いじゃないところがあるみたいだ。そんな関係で女性同士の性交渉に発展することも多いみたいだが、多くは思春期に一過性の場合が多く、その後は家庭を作り子を産むという本能が生ずるのだろう。

 これらの同性間の行為は、その行為が中断し異性間の交渉に変化した場合でも何らかのきっかけで同性間交渉が再開されることもある。また社会生活と家庭を作る壮年期には同性間交渉が失われたように見えるが、それら会の束縛からやや解放されだす中年期以降に同性間交渉が再開されることもあるみたいである。こういった後発再開は当然割合的にはぐんと低くなる。当然そういった機会が少なくなってくるからだ。

 脳は男と女でその構造が違うそうである。男は左脳人間で女は右脳人間とはよく言われることであるが、いやよく言われるかどうか知らないけどまあそうしておこう。男は頭で考え女は子宮でものを考えるなんてことも言われる。これなど男は理性的で女は感情的といわれうゆえんだろう。これらは実際は全て脳の構造から来ていることなのだろう。

 女は女として生まれただけですでに完全な生き物だ。男は男として育て上げなければ人の男性としては育たない。つまり男は育て上げ男と分からせることによって男性として育って行くのである。そのために右脳よりも右手と直結した左脳思考型の人間にならざるを得ない。右脳が働きやすい男は激情型の短絡思考になりやすい。

 女は女として生まれただけですでに完全な生き物という意味は、これは生き物だということであって人という意味ではない。つまり女はまず体が女に変化する。望むと望まざるとにかかわらず妊娠出産を受け入れられる体になるのだ。これは右脳の本能的なものを司る部分に強く支配されるのだ。これに人としての日々の生活加わっているので左脳も発達し人としての女になる。

 それで生殖期に女がすることは動物的行動である。男は単なる遺伝子の伝達人なので、女はよりよい遺伝子を求めて自分を保護し子供を育てさせてくれる遺伝子を本能的に求める。しかし人は人であるゆえんとして知性が多少加わるので、その知性によって本能で選ぶ遺伝子としての対象じゃなく、知性で考えて思い違いと勘違いで寝違いで首が痛いじゃないれど、本能で選ぶ遺伝子以外の対象者をを愛してしまうこともまあないことじゃない。

 まあ、「まあ」って良く私は使うけど・・・まあ確かに趣味趣向と勘違いと思い違いからどんな人であれ人を好きになったりすることは無いことじゃない。世の中にはそんな例はだって多少はある。でもそれはあくまでも例として挙げられる例外であって決して普遍的なことじゃなく、多くは孤独な者は孤独なままこの世を去っていくものなのだ。

 孤独と言えばどんな夫婦であったって心の中で浮気をしない男も女もいなければ、夫婦である間にも心の中に別の誰かを宿さ無かったことのいない者なんていないだろう。相手の幸せが自分の幸せと思え続けることも難しいだろう。今は亭主よりも女房のほうが婚姻後に夫以外の男性との性交渉を持つことが多くなっている時代でもある。夫婦と言う名の他人と共同生活での孤独と、一人で孤独に生きていくことに実質的などんな違いがあるというのだろう。

 夫婦であれ家族であれ一人であれ結局は一人だ。自分ひとりの心をもてあましてしまう。この心はブラックホールだ。。何を持ってしてもその心を充足させることはできない。いや一時は充足させることができるが、胃と同じで三度三度の飯がそのたびに必要なのだ。

 三度三度の飯のように心を満たすことは不可能だから心は常に飢え続けている。飢えた心を満たすべく人は動く。ブラックホールとの心を満たすものを求めて動く。体は動かなくても心が心を満たすために何かを求めて動く。いくら動き回りのた打ち回ったって心は一時しか満たすことができない。

 一時の心を満たすことは比較的に簡単にできる。何か好きなことをしていればよい。映画を観るのならその時間は満足できているはずだ。食べるのが好きなら食事中は満足できているはずだ。本を読むのが好きなら本を読んでいる間は満足できているはずだ。でも食事や娯楽ではそのひと時が終わればあとは余韻が残り、その余韻もやがて消え去ってしまう。

 究極の求めている対象はやはり異性だ。だがその異性とて食事や娯楽と同じものなのだ。性交渉をしていたってお互い没頭できるときなんてそうあるもんじゃない。男は衝動で性交渉が始まるが性交渉そのものは頭で性交渉をしているのだ。これは女も同じだろう。女は多くの場合は性交渉の振りをして性交渉をしている場合が多い。こんな性交渉が心を満たしてくれるどころかそのことによって返って傷つくことも少なくない。

 満たされない心を抱えた満たされない心。その心を一人一人が持っている。心を満たしたいが満たされない心を癒すためか忘れるために人は代替行為を行う。その代替行為がこの世界を作っている。満たされない心を満たすために出来上がっているのがこの世の中なのだ。その満たされない行為は左脳によって作られている世界でもある。心を満たすには左脳では無理なのに・・・

Cools