今日は2005年1月11日火曜日。
昨夜は零時前には眠りについた。しかし最近の私は朝の目覚めが早い。5時ぐらいにはぼーっと意識が戻るような感じになると私はカセットテープレコーダーの再生ボタンを押す。それは離床までの間、前日自分が練習曲を吹き込んだテープを繰り返し聴くためだ。
何度か繰り返し聴くから聴くだけでも一日4−5時間必要な感じになる。でも一日4−5時間歌っていることも多いから一回聴くだけでやっとの時もある。自分の歌を聴く時間を作るためにはながら族となって何かをしながらも聞いているが、それだけでは時間が足りない。だから勢い睡眠時間を削らざるを得ない。まあ、たいした労働をしていないので少々睡眠時間を削ってもどうってことはない。強いて何らかの影響を探せばカラオケを唄っていて、間奏の間に意識がなくなっていることがある程度だ。
こんなにカラオケのことを書いているから、自分では音痴だと謙遜しているが実際はまあまあ聞かせる歌を唄える人ではないかと思う方もいるかもしれないが、私に関してはそんな幻想は持たないほうがよい。本当の音痴なのだ。もし「音痴だからなんだというんだ文句あっか世界連合会」なんてものがあればその初代総裁の椅子の座に座りたいと思わないけれど座らざるを得ないほどだろう。
普通の人の百倍歌の練習をしていて音痴が抜けないのだ。普通の人の百倍というのは、一日4−5時間も歌を唄っている人は普通の人には多分いないだろうから、そういった意味での普通の人の百倍と言う意味だ。歌手もしくは歌手になろうとしている人と同じ練習という意味ではない。ただ伴奏を聴いてその伴奏に合わせて歌うようになる練習だけで唄い方を教わったりするというものではないので、全部自分でどうやって唄っていけばよいのかを見つけなければならないので、数やっつければ何とかなるだろう練習なので歌の練習としてはとても効率も悪いだろう。
五木ひろしの「アカシア晩夏」や水森かおりの「釧路湿原」・「秋吉台」・山本譲二の「倖あげたい」・鳥羽一郎の「大阪湾」など本人の唄った歌は一度も聞いたことが無いが、私が利用するインターネットカラオケで曲があるので唄う練習をしている。それで2−3日前水森かおりがテレビで「釧路湿原」を唄っているところを始めて聴いて、おっ、俺の歌っている節回しと差異はないじゃないかとちょっとうれしくなった。といっても表現力に雲泥の差があって歌も一種の芝居なんだなあと思う。
歌に芝居を入れるのは脚本だけど、それはプロの場合はプロの方たちがどんな風にするか教えてくれるし、歌手も意見を言って組み立てていくのだろう。でも素人カラオケの初期にはどうしても歌手の唄う歌の特徴を出す部分をデフォルトしてしまい、そのデフォルトした部分が強くなってしまう。これじゃ一部の特徴だけを取り上げた物まねと同じだ。それも下手な物まねだから歌の中で浮いた部分となって違和感が強くなる。
落ち着いて歌手の歌い方を聴いてみると、所々に歌手特有の癖はあるけれど、歌手は歌の中の感情表現部分を淡々として唄っている場合が多い。素人カラオケはその部分に思いを入れすぎるから歌にバランスが取れないのかもしれない。歌手は抑えた表現で歌を唄いながらも、その押さえた部分は聞き手にゆだねているので、素人カラオケがその押さえ部分に思いを入れすぎるのは、歌手の抑えた感情表現はちゃんと聞き手の中の思いをゆすぶるということに成功している証拠なのだ。
スナックなどでは歌をそつなく唄う人が多くいる。唄い方が丁寧なので聴いていても安心だ。ただそういった人の歌は歌手が表現を抑えて唄う歌ではなく、上手に歌おうとするあまりにはずさないように淡々と唄う歌になっているような気もする。とはいえ唄っているときにはそれぞれその歌に対する思いもあるはずなので、それぞれに感情は入っているのだろうと思う。スナックなどではこういった唄い方が一番よいようだ。
反対に私の唄い方だと力が入り過ぎていたりするので落ち着いて聴いていることが出来ないかもしれない。下手な歌は連れ合いや隣の客と話しをしたりすれば、歌声は耳に入ってこないようになっているのでぜひそうしてほしい。また素人カラオケの特徴で部分部分に異常に力が入る癖が抜けていないのでギクシャクした歌になっている。それでも人前で歌う度胸をつけるためには唄うしかない。
こんな音痴な私だが、なかにはろくに練習もしないのにすんなり唄えた歌がある。それは郷ひろみの「よろしく哀愁」だ。これが何か知らないがそれなりに唄えちゃうのだ。それと大川栄策の「さざんかの宿」だ。どちらも上手ってわけじゃないけど、他の歌からするとうまいみたいで「持ち歌ですか」って聞かれることもある。こういう曲って何なんだろう。どちらも両極にある臭い歌手なので流行当時は好きじゃなかったのだけど、二つの歌は私の音感感性にあっているのだろうか。
先にあげた「アカシア晩夏」や「釧路湿原」「秋吉台」「倖あげたい」「大阪湾」などはそんなに練習をしなくても唄える歌なので、流行歌といえど演歌系の歌は発表の場が少なくなっているので、その対策としてカラオケで唄ってもらおうととの目論みもあって誰でもが唄い易いように作ってあるのだろう。だから私でも伴奏とガイドメロディーを利用すればだいたい唄えるようになる。しつこいが、唄えるようになるのと歌がうまいのとは違う。私は唄えるようになるだけで歌は下手。
カラオケを始めてから変わったことがある。それは私の声の切れがよくなったことである。これまでの声にあった濁りみたいなものが取れたような気がする。鈍ったような音になる音域の声も少し澄んできた。それともうひとつはカラオケを始めたことで社交も少しであるが広がりつつあることだ。友達の少ない私としてはうれしいことだが、社交が広がるとお金も出て行くのでプータロウに近い私としては切実な面もあるが、まあ千年も生きるわけじゃなし男の寿命なんて短いもんだ。一人身の気楽さもあって楽しませてもらおう。あとは野となれ山となれ橋の下生活だってあるじゃないか。
現在は午前11時22分。それにしても本日は普段よりよい天気である。日も少し長くなってきた。本日快晴なり。
Cools
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