私は人の行動を気にしないのだけど、人のしぐさや振りには非常に関心がある。その人が何かを食べるときや歌を唄うとき・話すとき・タバコを吸うときなどちょっとした行動ともいえないような小さな動きの部分の振りに強い関心がある。
そういった小さな振りはその人すべてではないけれど、ある程度その人なりが凝縮されていると思うのだ。私がこんなふうに人の振りについて感心があるのだから、他の人も同じような思いを持っていると思う。ただそういったことは人に伝えるなどの話題にはしにくい。まあ、上司や嫌な奴のごく特徴的な振りなら冷笑とともに話題にしたりその振りを真似てみたりすることもあるだろうけど。
一般に他の人ちいさな部分の振りについては話題にはしない。それがエチケットと言うものだ。ところが夫婦なんかで倦怠期に入っていてさらに遠慮会釈がなかったりすると、それぞれ相手の振りの嫌な部分をあげつらってちっとした諍いが始まることもある。また家庭に入った他人についても義理の両親や義兄弟からそういったことを指摘される場合があるだろう。こういったことは多分に対等か弱い者へという流れは否定できない。
相手を好もしいと思っている場合には、多くの振りも好もしいと思えることが多い。まあ鼻の穴に指を突っ込んで鼻糞を掘ったりするようなものは、どんな相手であれ好ましいとは思わないが、それでもその相手が本当に雲の上のような憧れの異性であって、その人で自分の前でそんなことを堂々としてくれるならそれはそれで、自分にとって非常に好ましいよい振りとして記憶に鮮明に残るだろう。ただしそれは誰の前であろうと見せるためにしているので意識した行為であって振りとはもういえない行為だろう。
人の振りが気になるというのは実は自分のことが人にどう見られているかにも強い関心があるのだ。その通り。私も自分が人にどのように見られているか非常に関心がある。私みたいな表面的にいい人に見られたい演技性人格の者は常に、人にどう見られているかなんてことを考えている。でも、それで失敗することのほうが多くて、かえって無様な行動を見せていることも多い。
これからの時代は自分を知る必要がある時代だ。何より自分の中の心を開拓していかなくてはならない。一見自分を良く知っているつもりだけど、自分の中の誰が自分なのか良く分からないというのが自分だ。多重人格というようなスイッチの切り替えで違う人格が現れるようなものではなく、人は自分の中にいくつ者パターンを持っているが、生育過程の於いて獲得してきた使いやすい自分で日常を過ごしているはずなのだ。
一番使いやすい自分で日々生活をしている。そしてその一番使いやすい自分を一番知っていると思っているのは自分だろうけどそれがそうじゃないのだ。人から見た自分がその中に入っていないので時分の思っている自分と人と他の人が思っている自分とのギャップに気がつかない。自分はいい人だと思っていてそのように行動しているかもしれないが、実際に多くの人には「優柔不断でずるい人」って思われているかもれないのだ。
生まれたときから目の見えな男性がいるとする。思春期ごろに人体の粘土工作をさせると異様に大きな性器をデフォルメしてしまうのだ。大げさに言えば人の体の三分の一以上がが男性器になってしまう。これなど視覚による比較でなく感覚による比較でそうなってしまうのだろう。これと同じことで、自分が思っている自分と他の人が思っている自分は違うのだ。
もっと他の例も挙げてみよう。たとえば自分が誰かに何かちょっとしたものをおごってあげたとしよう。そのことを忘れる場合もあるがたいていは憶えていることが多い。もっと分かりやすくいえば、誰かに小銭を貸したことがあって、それが小銭だから帰ってこなくてもよいと思っていても、その小銭のことをなかなか忘れないもなのだ。ところがとくに気楽に借りた場合はそんな小銭のことは頭の隅にも残っていないことも多くある。この場合小銭を貸したほうは相手を多少いい加減な奴という印象のレッテルを一つ持つしだろう。ところがその相手は自分がそんなふうに思われているという思いは全くないので、自分がそんな人間と思われているということに気がつくことはない。
こういった自分の振りなどに対して自分をどのように相手が捕らえているかが分かる方法がある。それは2−30人のグループお互いに3−5分自己紹介をさせ、匿名でぞれぞれ自己紹介した人の第一印象を書いてもらうことだ。2−30人の第一印象で大体自分というもの傾向が見えるはずだ。ただの第一印象だから色々な人がその第一印象を書いているはずなのに、それでもその第一印象はある程度に集約されていくのだ。それはその自己紹介した人のそれまでの人生が多少見えるからなのだ。さらに2−30人の特定グループとの活動の中で3ヵ月後1年後と区切って同じような方法をとってみればぞれぞれ自分がどのように見えるかが明白になってくるだろう。
こんなふうにして自分がどのように見えるかを知ることは、自分を知る上でとても必要なことである。自分では思っていなかった面が分かるし、そのことによって自分を変えるきっかけになるかもれない。2−30人のグループの中にいるリーダー的な方には、自分を知るためにぜひこんな自己研修の方法も試してみると良いのではとお勧めする。そして自分を知ることは相手を知ることである。
Cools
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