100枚
2005/01/12

 このサイトを設けたのは少しでも自分の文章力がアップするようにとの思いと、ビジュアル化したインターネットだけど最終的に強いのは文章を中心としたサイトではないかと思ってのことである。いわゆるテキストサイトは文章力はもちろんのこと文章のセンスも重要だ。そのための勉強というよりもそのための思考錯誤(正しくは『試行錯誤』と書く)がこのサイトだ。

 私が文章を作成するときは頭の中で喋るように文章を読み上げながらその言葉通りに指でキーボードを叩いて文字にしている。他の人はどんなふうにして頭に浮かぶ文章を文字にしているのか分からないけれど、私の場合は頭に浮かぶ言葉をそのまま文字に打ち出しているので、文字が浮かんでくればいくらでもだらだら書いていくことが出来る。

 文字が浮かんでくればだらだら書いていくことが出来るけど、それはひとつのプロットできあがっているまとまりではないので、いつも支離滅裂の話があっちに行きこっちに行きの文章になってしまう。普通の文章といわれる散文以下の散文型ならぬ離散文型とでもいえるだろう。例えれば幼い時に別れ別れになってしまった親子のように、「ひょっとしたらそのうちお互いに会えることもあるかもしれないし、まったくの消息不明のまま終わってしまうこともある」といったその場その場の文章だ。

 まあ、そんな文章を書き出してから早五年目を迎える。その間思い出したときに思い出したように書いていただけなのでたいした枚数も書いてきていない。最初のころは書くことを意識していたので非常にぎごちないぶんしょうになっていると思う。ただ私はそういったことに頭が悪い(文法に対する知識もないし、文法の知識がない上に文章センスもないこと)ので自分の文章を見てもどこが文章としてどうまずいのか分からない。

 上に書いた文章の『ひょっとしたらそのうちお互いに会えることもあるかもしれないし、まったくの消息不明のまま終わってしまうこともある』の「ひょっと」は、ひょっとしたら「お互い」の前に持っていったほうが良いのじゃないか程度のことを考える頭は<最近>時々働くようになった。こういう言葉を私は遠いところに置いてしまうから正確な文意も伝わらないだろう。もっとも正確な文意をが自分でもどこにあるかわかっていないこともある。この「ひょっと」は「そのうちひょっとしたらお互い会えるかもしれない」という意味で書いてあるのだけど、先の書き方じゃあ「ひょっとしたらお互い消息不明のまま」にもかかっていると思うことも出来る。それにこの『<最近>』最近は最初どこに置いたかというと、この段落の一番最初だ。こういった書き方をセンスがないというのだろう。それが私の文章なのだ。

 最近は文章の中に細かく読点を打たなくなった。読点というのも必要不可欠なものだけど必要なところに打つ必要があるものらしい。私の場合は読みやすさを出すために打つことが多く、文法上必要な読点はどこに打ってよいのか分からない。それなら文法上必要と思われような読点を使わなくても良い文章を作ってしまえばよいのではないと思ってなるべく入り組んだ文章にしないようにしている。もっとも入り組んだ文章にしようとすると自分の頭のほうが先に混乱してしまうのだ。

 それにこの段落だって私には良く分からない。ある文章の中のひとつのまとまりごとに段落を設けて書くのは分かるのだが、ある文章の中の段落だって前後の段落と関係しているのでどこを段落にしたら良いのか判断が出来ないのだ。だから適当に段落を切っているがそれも本当は良くないみたいだ。良くないみたいじゃなくてそんなふうにしか思えないのが文章センスのなさなのだろう。

 そんなに文章センスがないと自分で分かっているのに、なぜ文章センスを身がこととしないのか。それはこのままでいいとは思っていないがたいして悪いとも思っていない気持ちのほうがやや勝っているので、駄文も積みかねればそのうち少しはこなれるだろうと思っているからだ。誰だちりも積もれば山となってもそれはただのちりの山だって言う奴は!

 まあ、それでもこんな駄文を作って今回100枚目となった。100枚目となったが実際はそれより多く作文している。その100枚もリンクよりはずしたりしたものがあって実際に閲覧できるようにしてあるのは90ぐらいだ。

 どういうわけかこのサイトのアクセスが若干増えてきている。私が運営する他のサイトの更新を私がほとんどしなくなったので、それらをつまらなく思った人たちがこのサイトにも流れているのかとも思うのだがそれもよく分からないが、いずれにしてもどこからやってきてくださるのかアクセスが増えだしたのは2004年6月ごろからだから、私が他のサイトを更新しなくなってからと符合する面もある。

 まあなんにしても閲覧してくれる人が居ると居ないでは居ないよりより居たほうが良い。自分の為に唄う下手なカラオケも、本当に一人で唄っているだけじゃあつまらない。だからスナックへ行って恥をかきながらでも唄いたい。カラオケボックスへは連れ合って行って自分の歌を聴いてくれる人がいるのがうれしのだ。

 まあ・・・私の文章には「まあ」が多いなあ。この「まあ」はなんの「まあ」何だろう・・・、スナックもカラオケボックスでも人の歌を真剣に聞いている人は少なくて雑談しながら時々聞いているだけなのだけど、金を払って唄う歌なんてそれで十分なんだ。この駄文にしても下手なカラオケにしてもとりあえず少しは読んでくれる人がいる、人の居る場で唄うことが出来るそれが必要なんだ。

 まあ、とりあえず100枚達成を今日のめでたしとするか。

 以下設問。
「まあ、とりあえず100枚達成を今日のめでたしとするか。」の筆者の文意は以下の四つの中のどれだろうか。自分の直感で考えよ。

1)とりあえず「まあ100枚達成を」今日のめでたしとするか。
2)とりあえず100枚達成を「まあ今日の」めでたしとするか。
3)とりあえず100枚達成を今日の「まあめでたしと」するか。
4)単なる飾り言葉。

解答:4) ←ここに解答あり。

Cools