話し方の会に半年ほど前から参加している。
話し方の会というのは人前で多少話が出来る程度になればよいというのが目的だ。人前で話すことの場数を踏んでいくことによって、伝えるべきことが起承転結として話せるようになれる機会としての場を提供し、その機会を利用して自分で話し方というものを学んでいくというものだ。
私は雑談はできるのだが、自分の考えで人に何かを人に伝えるのが非常に下手なのである。たとえばある場所を教えるのにその道順の説明となるとさっぱり要領を得ない説明になってしまう。私の説明ではかえって相手に混乱を与えてしまう可能性が強い。そのため複雑な道順だと途中まで程度教えて、あとはその辺で(その辺とは途中まで教えた道順の終わり付近のこと)もう一度誰かに聞いてくれと言ってしまうのだ。
道順がちゃんと教えられないということは、頭の中に道順は画像的イメージデータとして入っていても、イメージデーターを元に説明する方法と経験が不足しているからなのだろう。今思えば、イメージデーターを自分が歩くように人に説明すれば良いと思うのだがそれがうまく説明できないのだ。
どんな風にできないのか。それは説明しようとするときに色々なデーターが一度に出てきてしまうからだ。一ヶ所へいく道順なんて一本道しかないのであれば別だが何通りもの道順がある。その何通りもの道順を考えさらに分岐点でまた何通りもの道順を考えてしまうので、それらのデーターであふれいったいどうやって何を説明すれば分からなくなってしまい、結果的に支離滅裂な説明になってしまう。
あるとき知らない店で会合があるので、その店に電話をして所在を確かめた。そうすると相手の方はどちら方面からおいでになりますかとまず聞いた。私はこの辺に住んでいるのでというとそれではと、誰でも知っている主だった道を挙げて説明しその道を進んで目的地まで誘導する説明の仕方だった。とても分かりやすかった。このときになるほどルートを限定して説明したら少しはすっきりとした説明が出来るのだなあと思った。
話し方の会では参加者の前で何かを話すことが行われる。少しお話が出来る方は何か話材を見つけ話が出来るように準備をしてきているようだ。然るに私といえばそういった下準備を何もせずただ参加しているだけだから、自分が前に出て何かを話すとしても話すべき内容が思いつかない。
いや思いつかないのではなくて、そのときには色々なことを思うのだが先の道順説明と同じで色々な一度にデーターが集まりすぎてしまい、話すことに対する考えがまとまらないまま頭の中が真っ白になってしまう。頭の中が白くなってしまうから話す内容もまとまりがなく、3分間程度の時間さえも話を続けて話すことが出来ない。こんなふうに書く文章は次から次と意味もなく出てくるのだけど、話す場合はそれが出てこない。
もちろん書く文章だって次から次へと出てこないけど、それでも一貫した流れとまとまりのある文章を作ろうとするときだけでそうでなければ幾らだってだらだらと書いていくとはできる。まあ、一貫した流れとまとまりのある文章といっても自分がそう思うだけで人はそう思わないかもしれないなあという危惧はちょっと脇においておくとしよう。
こんな風にキーボードをタイプしてできる文章はやはり頭の中で考えた文章だ。口を動かして作る文章は頭で考えて口を動かしているときもあるけど、頭で喋っているというよりも口が勝手に喋っている場合が多い。この口が勝手に喋っているというのはちょっとおかしくないかと思っても、実際頭で考えていないこと言っちゃまずいことまで口が勝手に喋っている場合もある。どうも頭の中で口から出る言葉を司る部分と、いま考えながら文章をタイピングしている部分とは、脳は同じところを使っているのではないのではないだろうか。そして人前で話をするために話材を用意し話すための下準備をするのは、頭の中に朗読すべく暗記したページを用意し、それを人前で話すのは単に頭の中にある1ページを朗読しているに過ぎないのでないか。つまり暗記する脳部分。
雑談をする脳部分と文章を作成する脳部分と暗記する脳部分。これらの三つの脳内での働く場所は多少違うのだろう。そしてこれらの三つが三位一体となるべく相互補完さえると話術も高度化していくのではないかと思う。雑談をする脳部分と文章を作成する脳部分・暗記する脳部分の三位一体を強めるには相互連携力を高めるのが一番だろう。それにより雑談をする脳部分と文章を作成する脳部分・暗記する脳部分間の神経細胞の結びつきを強めて情報伝達が多くなることによってより豊富な話題へと話が膨らんでいくのではないだろうか。
たとえば落語家。基本的なネタは暗記する脳部分。話をするのは雑談をする脳部分。話を膨らませるのは文章を作成する思考に当たる脳部分。この三つを駆使してこそ聞かせる話術となるのではないだろうか。とするとやはり話し方の勉強として、最小限度は何か明確な暗記部分を用意して、それに沿って話を膨らませなていくのが一番よいのかもしれない。さすれば、次回からは何かひとつネタを用意して話し方の会に参加するようにしてみたい。
話す上において話の内容は雑談程度と思って、話が面白おかしくなんて大それた欲望は持っておりませんが、しぐさや表情などで、私自身が人の心の片隅に印象で残る事ができればよいと思っています。結局、話よりも残るのは人の印象ではないかと思います。話すのはその印象への手段ではないでしょうか。
Cools
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