ぼくはいつもの行きつけのスナックじゃなく、行きつけのスナックの一つ手前の店のドアを、行きつけのスナックと勘違いして開けてしまった。そこに彼女がいた。
ぼくは惚れっぽいタイプなので、顔の作りのパッチリした彼女を素敵な女性だなと思った。そして、なぜか彼女もぼくを気に入ったみたいだった。その後ぼく達はお互いに魅かれて行った。これはそのほんのひと時のショートストーリーだ。
彼女と知り合って二ヶ月。彼女と付き合いだして一ヶ月もしない内に、彼女から毎日ぼくのところに電話がかかってくるようになった。彼女はぼくと友達になりたいらしい。ぼくは友達じゃなくて彼女を女として口説こうとしているが、彼女はぼくには性的な魅力を感じていないらしい。 けど、人間としてぼくに好意を持ちぼくと友達になりたいらしいのだ。
彼女はぼくが口説く度に友達ならお付き合いするけど、そうじゃなければこれで終わりにするわとよく言う。彼女は事ある度にぼくに友達として付き合えるかどうかの回等を求める。電話でもそんな話になって、ぼくがあいまいな返事をすると彼女は電話を切ってしまった。話している最中にぷつりと電話を切られると、さすがに「あちゃ」って思うけど、まあいいかと折り返しぼくが彼女に電話を入れないでいると、数分経ってどうして電話をかけてこないのと彼女からの電話が入る。こういったところは彼女の良い意味でのしたたさでもある。彼女のぼくと友達としてのお付き合いという要求について、ぼくはまだその答えをしていない。
彼女は目がパッチリにちょっと肉感的な丸い小さな口がとても愛らしい。身長は163cmあってちょっと肉付きが良く魅力的な女性である。彼女の素敵な目はモデルで女優の川原亜矢子によく似て、とても野性的な目だ。その目がキラキラ光っている。目が光っている以上に彼女の精神もキラキラと光っている。そのキラキラ光っている精神は彼女の童心の部分だ。子どもっぽさと大人の色っぽさ。華やかさと妖艶さ。
彼女は約二年前に最愛の夫を癌で亡くした。その夫は一回りほど年上みたいで、夫との一人っ子の娘はアメリカに住んでいて結婚もしている。結婚した相手もアメリカ人で、お互いに歯科医師として開業医をしてるそうだ。娘からは毎日夜10時ごろ彼女に電話が来るということだ。
彼女は沖縄の人だ。沖縄の人にしては色がとても白い。彼女の喋り方はおっとりしていて、高学歴特有の落ち着いた喋り方をする。彼女は裕福な家庭に育ったみたいで、その上社会的地位のある夫と結婚した。時々はドレスを着て夫とパーティなどに出るような生活をしていたみたいだ。ちょっとぼくなどとはソサエティが違う。
彼女が行くようになったというその一軒のスナックが、ぼくが間違ってドアを開けたスナックだった。彼女は半年ほど沖縄に帰っていて、最近こっちには戻って来たばかりで、たまたま久しぶりに彼女がこのスナックに来ていた時に、ぼくがてっきり馴染みのスナックだと思って「雨が降ってきちゃったよ」と言いながらドアを開けたのだ。そして彼女に出会った。なにもこの出会いを、ぼくはドラマチックだなんて言うつもりはない。人の出会いとはえてしてこんなものだからだ。
そのときぼくは半分趣味半分商売で栽培している小型の植物の開花シーズンだったので、その花を切り取ってスナックのママたちにプレゼントするべく持っていた。その植物とは小型の蘭科の植物で、甘い香りのするこの蘭の花を切り取って女性に上げるととても喜ばれるのだ。ぼくのところではこの蘭は花を観賞するためではなく、葉に模様の入った斑入りや葉姿の変異を楽しむために栽培しているので花は二の次だ。だから花が咲けば、香りがよいので切り取って誰かに差し上げるのが常だ。
間違って開けたとはいえ、一度このスナックには他所のスナックのママ達に連れられてきたことがある店だ。知っている店だと思ってもう店内に入り込んでしまったので、失礼しましたと出てくるわけにも行かず、ビールを頼んで飲んだ。持っている蘭の花も店にプレゼントしたり来ている客にも差し上げたりした。そんなことで彼女とも話がはずんだ。そして帰るときに彼女は水曜日か金曜日にはこの店に来ていますからと、ぼくに言った。ぼくはじゃあ金曜日にまたねと言って帰った。
ぼくは彼女が何者であるかは知らないが、ぼくにとって彼女はとても魅力的な女性であった。ぼくはパッチリした顔の人が好きなのだ。どちらかといえば派手な顔の女が好きだ。ぼくは自分で自分の事を地味っぽい男だと思っているし、しかも右目が潰れているし人は第一印象を相手の目で求める事が多いので、その片目が潰れていては女性に持てるわけもない。持てないと思っていても、人としての有り余るナルシズムで身を纏ってそんなことはない、俺は持てるしいい男だという思いで生きては来ている。だから右目が潰れている事で卑屈にはならないし、何があっても顔を下を向けるような事はしない。ぼくは顔をちゃんと上げて相手の目を見て話をする。それでも右目が潰れている事はぼくの最大の劣等感である。ぼくの最大の劣等感はぼくの性格と人生を色濃く影を落とし結果的に人生を歪めている部分もある。
女性に持てると思っていないぼくだは、きれいな女性を見る度にぼくはぼくの右目を呪う。それでもぼくは負けない。チャンスがあればきれいな女性にはなるべく挨拶などでも声をかけるようにしている。きれいな女性にはチャンスがあればきれいですねと伝える事もする。これはぼくが相応に年を取ってきたからできるようになった事だ。そして、ぼくが色々なスナックに行くようになって一年ほどだが、そんなぼくに対して意外に女性が寄って来ることが分かった。どうやらぼくの外見に惚れるのではないみたいだが、ぼくの振る舞いなどによさを見出すみたいだ。
彼女の事に戻ろう。彼女はあんなにきれいでちょっと日本人離れした派手な顔立ちで、しかもエレガントな感じの女性が、何であんなスナックにいるのか不思議だったが、そんなことはどうあれ、帰りしなに彼女に私は水曜日か金曜日に来ていますなんて声をかけられれば、ぼくは自分の外見上の欠点を忘れたわけじゃないが、それでもぼくだって何かを期待しないわけはない。それにカラオケを唄う度胸をつけるために色々なスナック通いで飲み屋の雰囲気にもなれた。そして、こんなぼくでもわりと客としてきていた女性と仲良くなって、その後に誘い合って一緒に飲みに行ったりする事も多くなってきた。
そんなことで週があけて待ちに待った金曜日。ぼくはそのスナックに行ってみた。夜の11時頃なのに彼女は来ていない。小さな店なので、ぼくと彼女がまた金曜日にという約束をした事も店のママは知っているので、彼女が来ない事を申し訳ないような顔をして、どうしちゃったんでしょうねなどと言ってくれた。ぼくは約束を守らない女は嫌いだなあと言った。
約束を守らない女は嫌いだ。それは女じゃなくてもだめだ。それでもぼくは彼女にもう一度会いたくて、そのスナックに何度も何度も通った。店のママが彼女の事を言ってくれるけど、ぼくは虚勢を張ってもう彼女の事はどうでもいいよ。ぼくはこの店が気に入って来ているのだからと言った。事実その店は料金も安く、ママが若いので、比較的若い人が多く、カラオケなどを唄っても客の乗りの良いところも気に入っていた。
最低でも週に3回以上その店に通った。そして2週目ぐらいでついに彼女と再会した。彼女はぼくがその店によく通っている事もママから聞いて知っていた。彼女にすれば最初の時にぼくと約束をしたつもりはなかったみたいだった。彼女にすれば水曜日か金曜日にはこの店に来る事があるという意味のようだった。それでも彼女はぼくに興味を持っているのは間違いないみたいだった。ぼくが来ているかどうか、その店の手伝いのおばさんに彼女から電話が入って、ぼくが来ていること知って彼女は店にやってきた。
何度かそのスナックで彼女と会ったり、その後お茶をしたりして彼女の車で送ってもらったりしているうちに、いつの間にか彼女から毎日電話が入るようになりなった。それからは二日に一回は彼女と会ってお茶をしたり食事に行ったりするようになった。そしてここのところ二週間。ほとんど毎日彼女はぼくに会いにやってくる。といっても彼女はぼくに友達としての付き合いを求めているので、性的な付き合いは生まれない。電話は彼女からかかって来る事がほとんどで、彼女からの電話で必要があってぼくが電話をかける程度だ。ぼくから積極的に彼女に電話をかけたことは無いに近い。一度など、電話は私からばかりねと彼女が言うほどだった。
ぼくは何度か彼女にモーションをかけたが、彼女はそれをうまく交わしてするりと逃げていく。彼女曰く、ぼくに恋愛感情は全くないということだ。ぼくはその言葉を聞いて、彼女がぼくを好きなのだという思い込みのような思い上がりが消えうせた。ぼくも彼女のはっきりした物言いで、彼女に対する恋愛感情はほとんど消え失せてしまった。それでもぼくは男なので、冗談みたいに彼女を口説くこともしばしだった。彼女はぼくの口説きを、まるで二人のラブゲームみたいに巧みに交わしていく。
彼女はほとんどスナックに行くことはないみたいだった。いっても週に多くて一回程度だけど、派手な彼女が出入りするとなんだかしょっちゅうその店にいるみたいな感じで思われているみたいだ。そういえば彼女とよく会ってもぼく達は酒を飲みに行った事はない。彼女は車でぼくのところに来くるのだ。そしてぼくは彼女の車に乗ってお茶や食事をしに行くのだ。彼女は車の運転をするので外ではお酒はほとんど飲まないのだ。
このゲームは彼女が積極的にぼくに近づき、そして積極的会うチャンスを作って二人は毎日のように会っていた。彼女は自分の事、友達の事、亡くなったご主人の事、彼女自身の考え方やこれまでの人生を私に話してくれる。方やぼくは事あるごとに彼女を口説く。ぼくは何でも話してくれる彼女はぼくに気があるのだろうと勝手に思っているので、遠慮会釈なく彼女を口説く。あまりくどくと彼女は怒り出す。どうやら本当に彼女は一方的にぼくに友達としての関係のみを要求しているのだ。ぼくの彼女に対する思いも都合もお構いなしにだ。そんな彼女に、ぼくは君がよく分からないと言ったら、彼女にはその言葉でとてもショックを受けたみたいだった。
彼女は言う。私はあなたに自分の全て、そう父や亡くなった夫にしか見せない自分を見せてきた。自分が子どもっぽいところもあなたには見せてきたと言う。確かに彼女は非常に子どもっぽい面がある。その子どもっぽい面は成熟した女性が見せると、それが反って男には色気と見えてしまう面もあるのだ。
彼女は男と女で友達関係は難しい。それなら元のスナックで会う程度の知り合い戻りましょうと言う。こういった事もまた彼女が一方的に提案して決め付けようとする。こんな提案は、ぼくたちが付き合いだして短い期間の間だけど、それでも何十回とあった。こういったところは、彼女がわがままに育ってきた女性だなと思える。話によると彼女の父は事業家で成功しているらしい。その力のある父に守られ、結婚してからは社会的地位のある主人に守られて来た彼女は、その中では成熟した女性としての子どもっぽい面を出しても、それは庇護者がいるからこそ誰もが素敵で可愛い奥様ですねと言うだけですんだだろうけど、今は独身の女性となっているのに、そのような振る舞いをぼくに見せられたら、ぼくは単純に素敵な女性ですねと思うよりも、恋愛感情は抜きにしても十分すぎる性的な魅力を感じてしまう。
彼女との付き合いの中で彼女とは友達として今後も付き合っていこうと、今日やっとぼくは決心した。ところが今日のデートの最後で、ぼくが君はどうにもわけの分からない女性だと言った事に対して、あなたなら私のことを理解してくれていると思っていた。だからこそ誰にも見せない私の子どもっぽい面も見せてきたと言う。彼女はぼくが彼女の事を理解してくれていると一方的に思っていたのだろう。ぼくは君についてはなにも分からないというと、私はあなたに全て見せている。今あなたに見せている私が全てだと彼女は涙ぐみながら言う。
彼女はぼくにとって二度と出会えない魅力的な女性である。でも、ぼく自身は既に可能なら恋人とという思いは消えて、彼女と友達として付き合う決心していた。恋人同士になれなくても、彼女はぼくの知らない世界を持っている。彼女からはよき刺激も受ける。そして男と女としての境を越えた、友情としての付き合いも良いかなと考えていた。幸いにぼくの彼女に対する恋心はほとんど消えている。いつの間にか彼女のトリックに嵌ってしまったのか、恋心は消えて彼女とは友達感覚になっていたのだ。
彼女はぼくが、彼女に対して君がよくわからないと言ったことでかなりショックを受けたようだ。それだけ彼女は純粋にぼくに友達として彼女の全てを見せていたことは真実なのだろう。ぼくは彼女と友達関係になろうと決心をしていたので、君とぼくとじゃ釣り合わないよなと言ったら、あなたは何を言っているのと彼女は怒る。釣り合わないなんて誰が決めるの、自分で勝手に決めてどうするよと言う。そんな事を言うぼくを心外に思うのか、それじゃあ今後はスナックで出会う程度の関係に戻りましょうとさえ言う。ぼくは今日から既に友達として付き合うつもりでいたのに、それを伝える間も無く、それさえももう受け付けてくれないような彼女の雰囲気だ。
ぼくは彼女に言った。君がぼくに友達として付き合って欲しいと言われても、その言葉に対してぼくはまだ一度もYesと答えていない。今のこの擬似的な二人の友達関係を解消したら、ぼくはぼくから君に電話をする多分ないだろう。ぼくはそういう人だよと言った。彼女の目はますます涙目になっていく。彼女はぼくが本当に電話をかけない人間だと知っている。涙でキラキラ光る彼女の目はとても美しい。ぼくは今は君に恋はしていないけど、本当に君が大好きだよと伝えた。
それじゃあさようならと言ってぼくは彼女に握手を求めた。彼女はぼくの手を力なく軽く握った。ぼくは言った。握手は力を入れるものだ。握手に力が入っていない。彼女は力を入れてぼくの手を握った。ぼくも力を入れて彼女の手を握った。ぼくは車を降りた。彼女の車のテールライトが、夜の闇に吸い込まれるように赤い灯火を曳いて消えて行く。
Cools
|