小さな虫の世界にも無視できない現象があるみたいですね。私の栽培している植物の花軸で、小さな蜘蛛が虫を捕まえて体液を吸っていた。ちなみに蜘蛛は昆虫ではないそうです。蜘蛛が昆虫でないなんて、雲を掴むような話ではありません。
雲といえば♪くもりいガラスを〜(さざんかの宿・大川栄策より)じゃないけれど、曇りガラスを手で拭いても見えるようにはなりませんが、単に透明ガラスが水蒸気で曇った窓なら手で拭けば見えます。曇りガラスは素通しのガラス(透明ガラス)の表面ををわざわざざらざらにしてあるので素通しガラスより高いとか。
ガラスといっても烏(カラス)とは関係ありません。カラスは元は神の使いとか。生ゴミ置き場のカラスはカアカアとう煩いこと嬶(かかあ)と同じ。カラスが煩くても朝寝坊をしたい女はいない。それに、三千世界のカラスを殺すほどの思いも無い。情けない。でも、よく植物は枯らす事が多いです。植物栽培は枯らしてなんぼじゃいとう小さな世界です。枯らして植物栽培が上手になるのです。カラオケも咽(のど)が嗄れるほど唄うと上手になるかどうかは、本人のセンス次第でしょう。
センスといえばこの冷夏ではセンスも団扇(うちわ)も必要ないですね。でも家電販売では、冷夏だからクーラーが売れないのは言い訳に過ぎない。お前の営業努力が足りないからだとか、いや誰それのせいだとか内輪もめしているなんてこともなく、誰ともなしに今年はあきらめの夏でしょうと言ったとか言わないとか。
あきらめの夏といえば研ナオコさんのけだるく唄った「あきらめの夏」ですが、ラメ入りのドレスでこの歌を唄う研ナオコさんの唄と同様のけだるいポーズがよかったですね。この曲の作者は桑田佳祐さんですが、その手は桑名の焼きハマグリとばかりの習い性も無く、またしても糸桑(桑の変異個体で葉が糸のように細い品種)にいつの間にか産み付けられた蛾の卵から孵化した幼虫に食われて細い葉も丸坊主。
丸坊主と言えば貧乏人のこのサイトの管理人。ワーキング・プアの典型的。いや、それより悪い。ろくに働こうとさえしないで、棚から牡丹餅が落ちてくるのをひたすら待っている。その棚も無いのにタナボタなんてありえない。なのでいまや床屋へ行くお金もなくて、自分で散発して坊主頭にするようになった。そうして早3年。これで少しは生活が楽になったかと思えば、相も変わらず。その原因は下手なカラオケを人前で唄いたさに、夜な夜なスナックで音痴を披露し、恥を掻いて金を払ってくるからとか。
かくといえば、こんなところにこんなわけの分からない文章を書きなぐる件の管理人。何を言いたいんだかわけがわかんないので、全く虫の好かん奴だなと思われては、ここでもやはり恥をかく。書いてることは自分でもわけが分からないんだからと居直ってみても、これは恥の上塗り。恥恥と言うけれど、恥は恥じらい奥ゆかしくもある。
床(ゆか)がなければ奥へは行けぬ。奥へ行けぬから奥へは行かぬ。それでも逝かねばならぬ、止めてくれるなおっかさん。親に先立つ不幸の行き先は三途の川。ところが鬼籍も雨ばかりで三途の川も増水中。所々で三途の川も決壊し、溢れ流れ来る水魔で閻魔堂の閻魔帳も流され、ついには立ち入り禁止だそうだ。これじゃあ、握り締めたせっかくの六文銭も役に立たず。
六文銭が役に立たないから、ろくでなしとなったのかどうかは知らないが、六でなきゃ七つか八つかと聞いても、石の地蔵さんには答えようも無い。赤い涎掛けの地蔵さんは何しろ石のように口が固いのだ。石の地蔵さんは硬いけど頭は丸い。♪頭丸けりゃノーエぇ頭(あたま)サイサイとばかりに静岡民謡は「ノーエ節」。カラスの止まった地蔵さんの頭は娘島田を思い起こさせ、娘島田の情けにほだされ、富士の白雪も溶けて流れて三島に注ぐ。
三島と言えば昭和と共にあった作家・三島由紀夫。独特のナルシズムと美学を貫き通した。生きて今の生き様も見せて欲しかったけど、無視できぬ虫ならぬ蜘蛛の生き様はこの 画像の通り。三島さんもこんなところで呼び出され、蜘蛛と並べられるとは、天国でさぞかし怒っているだろう。
しかしながら、三島さんと蜘蛛はそんなに関係ない仲でもない。蜘蛛にも「ハラキリグモ(地蜘蛛の異名です)」なるものがいるのだ・・・ああ三島さん、本当にごめんなさい。深く陳謝。
Cools
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