夢を見た。
久しぶりに夢を見た。その久しぶりの夢でも最近は時々見るようになった。いや、夢は誰でも見ているらしいけど、見ていないと感じるのは夢を憶えていないからだそうだ。それだけぐっすりと熟睡していたことになる。
眠りにはレム催眠とノンレム催眠があり、レム催眠の時には体は眠っていても脳は活発に活動して記憶の中からいろいろな部分を取り出して組み合わせ不思議な疑似体験をさせてくれわけです。その不思議な疑似体験を夢というのです。
レム催眠は通常の一晩の睡眠で3-5回ほど繰り返されるので、誰しも脳の不思議な活動による疑似体験を経験しているのです。ただ起きた時にそのことを憶えていないだけです。
私は以前はよく夢を見ていたのですが、それは生活の中で夜の睡眠時間が長かった時が多いです。ここ二年ほど夜遊びが増えて睡眠時間が短くなり、見た夢を覚えることもなく朝の目覚めとなっていました。その夜遊びもあきてきて早目に床に就くようになって睡眠時間が延びてきたら、うつらうつらとしている時間帯も自然と多くなり、そうすると寝てると起きているの差がややあいまいになり、見た夢を覚えていることが多くなるようなのです。
夢を見たときに眠りが浅くなって、脳が覚醒しだすとその夢をぼんやりと憶えているのです。だから明け方の夢のほうが覚えているチャンスは多くなります。夢を見る部分と覚醒しいるときに使う脳の部分は違っているのかもしれません。何が違うかというとPCにたとえるとアプリケーション、つまりプログラムが違うのでしょう。
夢を見るときに仮に前頭葉を使うと過程してみます。当然前頭葉は起きているときにも使っています。その仮定して使っている部分の前頭葉はパソコンで言えばメモリーとしての一時的な作業の場であって、夢を見るプログラムが動いて前頭葉にいろいろな記憶を読み込んで物語を作っているのでははないかと思います。つまりWindows95以来のマルチタスクと同様です。Windows95と違うのはそれよりはるかに多くかつ複雑な、それこそ無数の独立したプログラムが単独であるいは連携で、起きている寝ているに関わらず働いているのです。
夢を見る作業タスクの時に、覚醒しかけた別のタスクがメモリを使おうとして前頭葉領域に入ってきて、見ている夢のタスクの残滓を、こんな夢を見ていましたとメモリからハードディスクに書き込んだときに、初めて夢を見たと認識したことになるのでしょう。ハードディスクに書き込まれた夢もそのときは憶えていても後で忘れるのは、書き込んだーデーターに再度アクセスをしないから、覚醒時に動いているタスクは重要でないデーターとして夢のデーターの優先順位を下げてしまい、朝の活動に必要な他の優先項目のタスクを引き出すのでしょう。それでなくて朝は誰しも忙しいので、夢にとらわれている余裕もないのでしょう。
その夢を憶えている。それはやはりなんとなくその夢を見て、ふと覚醒しかけたからだ。朝方だがまだ薄暗い時間だった。その夢は何度も繰り返してみるパターンの夢の一つなのだ。同じパターンの夢でもただ内容は少しずつ変化している。
その前に夢の元となる状況を説明しよう。私が住んでいるところの裏に側溝があって人の背丈ぐらいの深さで両手を広げた程度の幅もある。そこの水は湧水から流れてきているので、水深は浅いがそれなりにきれいだ。それなりにきれいというのは湧水だけならきれいだけど、その側溝は生活廃水も流すようになっているので、どうしても家庭の雑排水も流れてくる。
それでも20年ほど前はまだかなりきれいで、アブラッパヤやドジョウなども棲んでいた。私は永く熱帯魚を飼育していたので、そういった河川ぽい場所が大好きだったので、この流れに熱帯魚用の水草などを植えたりしたこともあった。だんだん私が熱帯魚の趣味から遠ざかりだした頃、側溝の水もかなり汚れるようになって、私もときどき覗く程度になってきていた。
私の熱帯魚趣味は高校生ぐらいから始まり、30代半ばまで続いたから20年以上の歴史がある。熱帯魚ならほとんどの魚を知っている。その熱帯魚と裏の側溝が結びついて夢になるのだ。そこの側溝は側溝なんだけど、夢ではアマゾン川となって出てくるのだ。側溝のアマゾン川である。
その側溝のアマゾン川にはネオンテトラやコリドラスが泳いでいる。いやネオンテトラに似ているが、夢だからネオンテトラよりも値段の高いカージナルテトラが泳いでいたりする。夢の中でも私は興奮してそれらの魚を見る。台風で水が増水した時は、淡水魚中最大の魚であるピラルクが群れを成して泳いでいたりしたこともあった。ただ網などを持ってそれらの魚を捕獲しようとしている夢ではない。
裏にある側溝が夢でアマゾン川になるのが基本的なパターンだ。ただあくまでも側溝としてのサイズのアマゾン川である。もうひとつは水の少ない石積みで作られた同じようなサイズの側溝の夢である。これはたぶん子供の頃小学校に行く道の左にある石積みで作られた小川のような感じだ。昔の用水路などを石積みで作った側溝がモデルになっているのだろう。
昨夜というか今朝方見た夢は、その石積みで作られた側溝の方が舞台だ。水深は極浅い。水は澄んできれいだ。川底は砂地となっている。所々石の塊となって漁礁のような感じ。その石から蛸の足のでっかいのが見えている。私はこの化け物のような物を退治しようとしている。蛸の足のように見えたものはいつの間にか烏賊の化け物のようにも見える。
私はそれを側溝の上から追い回して、漁礁のようなところに姿を出した時に、尖ったコンクリートの破片で出来た銛のような形の物で突き刺した退治した。やったあと思っていたら、側溝の川底を歩いている映画「エルム街の悪夢」の主人公「フレディ」みたいな老人がいて、そんな殺生をするんじゃないよとか、私なら殺したりしないとか言われた。私は何か気まずい思いを持った。
エルム街の悪夢のフレディは夢と現実を操る殺人鬼である。私の大好きなホラー映画の一つだ。昔はトイレに吊り下げられた電球のゆれで自分の影が動くのさえ怖かった私だが、いつの間にかそういったホラー映画や怪奇映画で楽しむことも出来る自分となっていた。そのフレディは現れた時は普通の人の大きさだったけど、いつの間にかフィギアのような小さなフレディなって川底の漁礁みたいな石と石の間に入ろうとしていた。それを側溝の縁から俯瞰して見ている自分がいた。
というようななんだかわけが分からない夢なんだけど、さて懸命なる皆さんはこの夢が何を暗示しているのか分かるだろうか。わたし? 私にはさっぱりわからない。
あえて言えば夢判断なら攻撃性とか隠れた暴力性とか現実逃避とか言えるだろうけど、そんなありきたりな判断はどうでもいい。夢は夢を見るタスクが工夫してさまざまな記憶の中からいくつかのことを組み合わせて再現する、珍妙かつ不思議な物語だ。だから何の意味があるかと聞かれても、夢は脳の遊びの一種か、いわゆるリラクゼーションであると思うのが適切なのじゃないだろうか。
Cools
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