ハナおばあさんは、端布を集めるのが趣味でした。色とりどりの模様の端布をちょっとした箱に入れて、それはそれは大事に抱えて、ハナおばあさんはとあるホームに入居してきました。
ハナおばあさんはホームに入居したころ時々自分がどこにいるのかも分からなくなっていました。窓際のベッドで、ベッドをリクライニングした状態で、いつもボーっと外を見ているだけでした。「ハナさん良いお天気ね」とヘルパーの方が声をかけても気づかないままです。高齢になっての転居など環境の変化は認知症が進む場合もあります。それまでハナさんはご自宅で、しゃきしゃきと自分よりも3つ上のご主人の面倒を見ていたのです。その後主人が他界してからも、ハナさんは一人で暮らしていたのでした。
ご主人のお葬式が終わってひと段落したときのことでした。親元を離れて生活している息子はお母さんに「ぼくたちのところに来て一緒に住もうよ」。ハナさんは「ここがいい」ボソッと言います。「うちの人と共に暮らし、お前たち子供を育てたこの家がいい」。さらに続けて「お前の嫁にも何の文句もない。孫も可愛い。けれども、私はこのうちで死にたいんだよ」とつぶやくように言いました。
伽羅の甘い香りがしてきました。香りに目をやると先ほど息子が点けた線香です。白い煙が背景に透けながらほんわりと立ち上がっています。床の間の仏壇には父の遺影と位牌そして母が端布で作った可愛いふくろうが添えてありました。母は端布で色々なものを作るのが趣味でした。「そうだよな、ここは母さんの生活、想い出の場所なんだ」そう思って息子も、これ以上強くは自分の住む喧騒な都会に母を引き出すよりはこのうちで暮らさせたほうが良いのかなあと思うようになりました。「じゃあ、元気でちゃんとできるまでだよ」「体の調子が悪かったり困ったら、ちゃんと連絡するんだよ。時々は孫たちを連れて家族で遊びに来るから、ちゃんとご馳走を作ってよ」息子はそう言いました。言いながら、母をひとり残すことで、なんともいえぬ熱いものがこみ上げてくるのでした。
それから数年が経ちました。
ハナさんはご主人がなく亡くなってから、ハナさんは少しずつ認知症が進んでいったようです。ご主人が亡く亡くなってしまったからなのでしょうか。それでも、最初のころは気丈に暮らしていたのですが、なんだか生活に張り合いが失われ物事に億劫になりだしたのでしょう。息子夫婦の里帰りのときなどは、それ相応にハナさんも張り切って料理をこしらえて迎えていたのですが、年々その料理にも品数や味付けに変化が出てきました。息子の嫁は義母の服装がうっすらと汚れ気味なのや、お茶碗などの汚れもきれいに落ちていないので、なんとなく不潔っぽい感じがしていました。主人にそんな話をすると、歳をとれば目も悪くなるし仕方ないんだよと口では言っていましたが、息子もぼつぼつ母の一人暮らしも限界かなと感じていたようです。
それからしばらくしてです。ハナさんがそのホームに入所するようになったのは。ハナさんの子供たちは福祉事務所やケアマネージャなどに相談した結果、それぞれの子供達もまだ子供も小さいし、それになんだかんだと言っても共稼ぎだし、認知症となった母の面倒を見るのはむずかしいので、専門家にお願いすることにしたのです。それに母の入所するホームを見学してその環境が良かったのも決め手でした。自分たちが母を抱えて下手に頑張って、その結果、母にも家族にもしわ寄せが行くようになってしまうよりも、このほうが何より母のために良いだろう。息子はそう思うしかなかったのです。
「ハナさん、わたし良子です」「良い子のよ・し・こ・だよ」と、その娘はハナさんの顔を下からのぞき込み見上げるようにして言った。ハナさんの目が一瞬丸く見開かれた感じがした。良子は今度新しく入ったヘルパーさんだ。明るく活発な娘だ。ハナさんだけじゃなく、だれかれの区別なく下を向いている人には下から見上げるように覗き込み、あるいは上を向いている人の顔に覆いかぶさるようにして声をかける。歩いているのもスキップをしながら歩いているみたいだ。なんだかホームがちょっと明るくなってきたみたいでした。
良子が常日頃かいがいしくハナさんの世話をしているとき、ベッド横のサイドテーブルの下の開き戸の中にちょっとした小箱があるのを見つけました。まだホームに日の浅い良子さんはサイドテーブルから小箱を取り出して、ハナさんに「これはなあに?」って聞きながらハナさんの目の前に小箱を差し出した。持った感じが軽いので写真でも入っているのだろうと良子は思った。写真から何かハナさんとお話ができるようになればと思うともなくそんな気持ちでの行動だ。そのときハナさんはその箱を懐かしそうに手を伸ばして受け取ろうとした。箱を渡そうとした良子、どちらからの手からともなく小箱が離れてベッドの布団に落ちた。小箱のふたが開いて、中からまるで模様色紙のような端布が舞った。
「わあ、きれいな布だね」良子は心からそう思った。「これなあに」と良子が明るい声を上げる。「は・ぎ・れ」ハナがつぶやくように言った。「えっ、ハナさんなあに」。ハナさんは今度はしっかりした声で「は・ぎ・れ」と言った。布団の上に舞っている端布を一つ一つ手にしながら、おろおろと目の前に持ってきて確かめるように見ている。「きれいな布だね。端布って言うの、そうなんだ」。ハナさんは端布を一つ一つ確かめながら箱にしまった。良子はその箱を受け取ると、「じゃあ、また明日この端布の箱開けて見ようね。二人の秘密だよ」と言って良子はハナさんの顔をのぞき込みながら言った。
それからハナさんは車椅子で散歩するときにも端布を持って行くようになった。良子と話をしながら、というより良子はどこで覚えてきたのか、三橋美智也の「哀愁列車」や近江俊郎の「湯の町エレジー」などハナさんの青春時代の流行歌や、童謡唱歌などを口ずさんでいる。良子が歌を口ずさめば回り人たちも口ずさむ。ハナさんも気に入った歌があると一緒に口を動かしている。ホームに明るさが広がってゆく。昼食もすんだ明るい日差しの初秋のひと時だ。良子は唱歌の「里の秋」を唄っている。ハナさんも口を大きく開けて唄っている。口を大きく開けていてもハナさんの声は小さい。だけど、とても懐かしそうに丁寧に唄っている。
あるとき良子がハナさんのベッドに行くと、花さんは端布を出して何かをしたいらしい。何をしたいのって聞くと、ハナさんはゆっくりと低い小さな声で「ふ・く・ろ・う」と言った。「袋っ?」と、良子は愛嬌はあるが素っ頓狂な頭のかなり上のほうから出たような高い声を上げた。端布で袋でも作るのかなとびっくりしたのだ。良子は自分の知らないことはインターネットを使って調べるのが好きだった。良子は最初は端布で何をするのか知らなかったけど、端布で人形を作ったり端布をつなぎあわせて服だって作れることを今は知っている。だけどまさか、ハナさんが端切れで袋を作りたいのだとは、夢にも思わなかった。「そうか、ハナさんはこの端切れで袋が作りたいんだ」、「でも、この端布の量では袋はむずかしいよ」。「んにゃ、ふくろうだ」と言ってハナさんは「ほー、ほー」と口先を尖らせて梟の鳴き真似している。ハナさんの梟の鳴き真似が、おでこに皺を寄せた皺くちゃ顔で、それでいてあまりに真剣なので良子は思わずうれしそうに微笑みながら、「そうっか、ごめん。ほう、ほーの梟なんだね」と言うと、ハナさんは我が意を得たりとばかりに、こくりこくりと首を前に動かした。
次の日からリハビリを兼ねたレクリエーションでハナさんは良子とお裁縫を始めた。端布を触っているときのハナさんはとても認知症が進んだ状態とは思えない。今では息子さんが来ても、お孫さんを連れてきても自分の身内と理解していないようなのに、端布を触っている時の目の輝きはそんな様子も感じられない。良子が手伝って端布を梟の形に裁断する。ハナさんは糸は上手に使うけどはさみを使うのはとてもおぼつかないのだ。ハナさんの針使いは手が震えているけど、とても針目が小さくて揃っていて、良子もハナさんの針使いにはかなわないなあって思う。
何度目かのレクリエーションで梟の人形ができた。可愛いメスの梟だ。ハナさんはうれしそうにその梟を撫で回している。それからというものベッドでもその梟を手放さない。クリスマス会にも梟と一緒に出席だ。良子は「じゃあ今度はオスの梟を作ろうよ」って言うと、「端布が・・・」とハナさんがポツリと言う。その後の言葉は端切れが「足りない」って意味だと良子は分かっていた。それまで手に隠し持っていた端布を良子は自分の胸の位置まで上げてぱっと手を離した。色とりどりの端布が良子の手から舞ってハナさんのベッドの布団の上に降りてくる。あの時と同じに、小箱をベッドの上広げてしまったように。ハナさんの目が大きくなった。布団に降ってくる端布を見てハナさんはうれしそうだ。
ハナさんは少しずつ衰弱してきている。オスの梟を作りかけてから年を越えてもう三ヶ月が経つ。一針一針と、ゆっくり針を進めるハナさん。良子は懐メロを口ずさみながら一緒に梟を作っている。ハナさんが梟を作っているを見て作り方を憶えたのだ。良子が作った梟はホームの人たちに人気があって、みんな自分のが作ってもらえる順番を待っている。良子は思っていた。たぶん、今日はハナさんのオスの梟が完成する。ハナさんの「できたよ」という低い小さな声が聞こえた。
その晩は良子の担当ではなかった。それで、良子は帰る前にハナさんのところによってから帰ろうと思った。帰りしな良子はハナさんに「オスの梟が出来てよかったね」。良子はハナさんが最初に作ったメスの梟と新しく出来たオスの梟を指差して、「梟の夫婦だね、ほーう、ほう、ほーう」ってうれしそうに鳴く真似をした。ハナさんもうれしそうに小さな声で「ほう、ほう」と口真似をした。そして誰にも聞こえるともなく「あ・な・た」と口の中でつぶやいた。良子が明け番で帰った。その晩ハナさんは二つの梟を枕元に並べて眠るように旅立っていた。
良子が急の知らせを聞いてかけつけた。白い布を外して、ハナさんの顔を覆いかぶさるようのぞき込んだ。そのハナさんの眠っているような顔は、今まで見たどんな顔よりも、良子がやきもちを焼けるほどに幸せそうな顔だった。良子がハナさんの頭を抱くとき、枕に触れた手の甲が湿っぽく感じられた。枕に頭を乗せてちょうど耳が当たる部分の左右が湿っていたのでした。良子は冷たく湿ったその部分をとても暖かいなあと感じたのです。なぜかは分からないけど良子にはそう感じられたのです。
画像の梟の人形は、梟のマスコットみたいなものが好きなスナックのママさんのところで撮影。巣の中の卵はメダカの卵です。この画像加工をしているうちに何か書きたくなって出来上がったのが「端布とふくろう」です。姉が二年間療養型病院に入院していたこともあって、こんな内容になってしまいました。画像自体はひょうきんなんですけど(笑) |