また夢である。昨夜見た夢なのであるが、どんな夢かはもう記憶にない。ただひとつ覚えているのは「ぐんまきぎゃるびー」という言葉だ。言葉だけ覚えているうちにとメモしておいたのだ。
この「ぐんまきぎゃるびー」という言葉は、いったい何者だ。検索で調べたらこんな言葉はないみたいだ。「ぐんまき」や「群馬き」という言葉も、「群巻(ぐんまき)」という単語もない。
一方「ぎゃるびー」の方は、「ギャルビー」として名前で結構使われているみたいだ。また、あるサイトには「ガールズ・アビリティ」の略として、「ギャルビー」というのがあった。「ガールズ・アビリティ」で検索すると、ゲームのようなシュミレーションサイトがあった。女子高校生がファンキー・プロダクションに入会し、運と美貌と実力で女優やモデルにアーティストの路線へ進んでいく育成ゲームの様な感じだ。
少しやってみたけど、こういったゲームには全く興味が持てなくて、これ以上続けていると自分は生き腐になってしまいそうで、生き腐になる前には最後の大暴れをしそうな気持にさせられるので、草々にそのサイトを閉じた。興味のある人は「「ガールズ・アビリティ」で検索すればすぐにそのサイトにたどりつけるだろう。
しかし「「ガールズ・アビリティ」が「ギャルビー」であってもそんなのはこの検索で初めて知っただけだ。私の記憶の中のどこに、こんな「ギャルビー」なんて言葉が入り込んでいたのだろう。前に「「ガールズ・アビリティ」に一度ぐらい訪問したことがあって、自分が忘れているだけなのだろうか。いやそれはそうことがあったかもしれないが違う。なぜならそこは「ガールズ・アビリティ」ではあってもどこにも「ギャルビー」なんて言葉はない。
「ガールズ・アビリティ」って言葉を見つけたのは、「ぎゃるびー」で検索したサイトの中に「ギャルビー=ガールズ・アビリティ」とあったので、へえそうなんだーと思って「ガールズ・アビリティ」を検索で探したのだ。結果的にはその二つのサイトはどれも「ファンキーランド」のコンテンツであった。
「ギャルビー」で検索すると「もしかしてギャッビー」というのもあった。これはスコット・フィツジェラルド著「グレート・ギャツビー」のことであった。「グレート・ギャツビー」の簡単な紹介文を読んだけど、自分がこの小説は読んだかどうか覚えていない。
それにしても「ぐんまきぎゃるびー」だ。いったいこれは何なのか。最近TBSで再開発エリアの「赤坂サカス」のオープニングが3月2日(春分の日)の明日から行われるそうだ。ここ数日TBSラジオを聴いているとその関連の話題が所々のコーナーで取り上げられていて、そのことが耳に残っている。
「akasaka Sacas 赤坂サカス」は、赤坂は坂が多いから坂を複数形にしてサカスで咲かすにも語呂合わせの造語らしい。どうにもこの「あかさかさかす」という言葉は一度聴くと忘れられないようなニュアンスの単語だ。それで私の記憶にしっかりと入り込んで、自分でも何かそれに対抗するかのように「ぐんまきぎゃるびー」なる造語でも作ったのだろうか。そうとでも考えないとこの「ぐんまきぎゃるびー」なる言葉が生まれてた理由が不明だ。
「ぐんまきぎゃるびー」なる言葉が生まれた理由が不明だといっても、夢なのだから理論づけができないのは致し方ないのかもしれない。しかし、夢を見ていてこんな風に言葉が印象に残ったのはそんなに多くない。夢って多くの場合は、「夢を見ている夢の内容を俯瞰して見ている自分がいて」、さらに「その夢を寝ている自分が見ているんだという自分」がいる。だから夢に自分が登場している場合は、3人の自分がその夢にかかわりあっていることになる。
私の記憶にある古い昔の夢は、無声の白黒の活動写真のような夢であった。それからいつしか自分の夢がカラーになっていることに気がつき、夢の中の自分を見ている自分がいるが夢として捉えられるようになり、やがてはその夢に音も入り込みいつの間にか、寝ている自分が夢を見ていることを自覚しているみたいなことになっている。
夢の中で遊ぶのはとても楽しい。多分夢は、自分の脳の中に蓄積してきた記憶の断片の組み合わせなのだ。その記憶とは自分が意識して記憶したことより、自分では意識しなかった記憶が呼び出されているような気がする。例えば同じ情景を見ても人によって見ている主題は違うだろう。自分の見ている主題は意識的にとられているがそのほかのものは見えていないに等しいが、それは見ている時に意識していないだけで網膜にはそれらの情報はすべて映り込んでいるわけだ。
網膜に映り込んだ情報。網膜だけに限りらない。触った時、聞いた時などすべての外的な経験感覚は脳に蓄えられているはずだ。見たものや経験はその中のほんの一部のことを自覚し認識しているにすぎない。自覚せずに書き込まれて保存されている情報も多いはずだ。だから夢でその情報の断片と断片が出会うから、夢は自分の経験したこともないような不可解なものになるのではないかと思う。
夢と似たようなものだけど夢じゃない脳のなせる擬似体験もある。ちょっとエロチックだがいつかそのお話を書いてみようと思う。 |