- 現在私たちが見ているホームページは、視覚的な内容で受け入れやすいものです。
- インターネット初期のホームページは、文章主体の情報交換として構成されていたようです。レポート報告や、データベースの利用、ハードウェアのデバイスドライバのダウンロード等も既に利用されていたようです。
- 一見、文字だけのホームページは、現在の視覚的なホームページと比べて、見劣りしているようにも思えます。ところがそうではありません。
- インターネットと文章は切っても切れない物どころか、インターネットの中で何より必要な物の一つだと言えます。
その理由は、一枚の写真や映像は全てを語るかもしれませんが、人は目で見たものは事実と思ってしまいがちです。映像以上のイマジネーションを働かせる人は希です。映像以上のイマジネーションを働かせたとしても、そのイマジネーションは貴方の頭の中の域を出ません。その上に人を揺り動かす映像や画像を表現しつづけるという事は、とても努力の要る事です。それが出来る人こそは、神に愛されるたアーチストと言うべき人たちです。
- そのように秀逸な映像や画像の表現ほどではなくても、私たちが日常を表現するのに、夕餉の支度をした写真があれば人が写っていなくても、どういう夕餉が始まるかを想像できます。但しその想像が事実かどう分かりません。
その夕餉の風景は勝手に自分の頭の中で想像した出来事なのです。でも夕餉の写真にちょっとしたメッセージがあったとしたらどうでしょうか。例えば、「パパが単身赴任から帰ってくる日」というメッセージがあったとしたら、情報量は飛躍的に増えると思いませんか。その後のイメージも膨らんできますね。その情報が真実かどうかは別問題として、情報により全く違ったイメージを操作できると思いませんか。
- 例えば想像してみて下さい、本当の殺人現場の映像を。その映像に、「これは今度上映する映画のワンシーンです」と言う情報が付いていたとしたどうでしょうか。そのメッセージがあると無いでは、貴方にとって与える影響はいかほどでしょうか。想像できたでしょうか。
では今度は、その逆を考えてみて下さい。映像もしくは画像で、「これは今度上映する映画のワンシーンです」と言う表現をする為に、どれほどの工夫が必要になるでしょうか。とても大変な事になってしまいますね。画像と言葉という性質の違うものを、こんな風に比較表現する事も強引かもしれませんが、でも貴方はここまで読み進んでしまいましたね。これも文字の持つ魔力というものでしょうか。
- 視覚的なホームページはそれはそれでアピール性は強いのですが、視覚的なものはそれが存在すれば、それは既にあるものとして存在していますので、なれてしまうと目に入っても無いに等しい存在になります。いわゆる下世話言葉の「美人は三日で飽きる」の類いでしょうか。
ちなみに私は美人に3日で飽きる事はありません。嘘と思いの美人の方試して見ませんか(笑)。
冗談はさておき、ということは視覚的な部分と文章の部分を組み合わせて、ホームページの見せる工夫を考えてみると良いですね。